南北朝期から室町、戦国時代にかけて。
中国/四国
山陽は代々赤松氏が勢力を振るい、最盛期には東は摂津から西は美作・備前におよんだ。赤松氏の御紋衆とよばれた一家一門は「二つ引両・三つ巴」を使用し、赤松し滅亡後も中国地方には縁りの氏族が多く、「二つ引両・巴」を使用する家が多い。
山陰では、室町時代に山名氏が君臨したが、家紋は山名氏配下であった、但馬国造の後裔日下部一族の太田垣・八木氏らの武将が使用した「木瓜」が広くみられる。備後や石見では「吉文字・一文字」のように文字紋が多くみられる。
四国は、阿波・讃岐・伊予・土佐の四ケ国からなり、阿波は三好氏一族、讃岐は讃州藤氏、伊予は河野氏、土佐は一条氏がそれぞれ本拠とした。戦国時代四国に勢をおおいに振るったのは長宗我部氏である。家紋はこれらの家にちなんだ讃州藤氏の「三階松」、三好氏の「三階菱」、河野氏の「折敷に三文字」、そして長宗我部氏の「酢漿草」紋が分布している。
【長宗我部氏の「酢漿草」紋】
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戦場を疾駆する戦国武将の旗印には、家の紋が据えられていた。
その紋には、どのような由来があったのだろうか…!?。
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