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●源平争乱/●鎌倉時代/
●南北朝/●室町時代/
●応仁の乱/
●戦国時代/●信長の天下統一
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源平の争乱と平氏の滅亡編
●西暦1180〜85年頃
平氏政権は地方武士の利害を十分に代表していなかったので、源頼朝・木曽義仲らの挙兵によって、もろくも崩れてしまった。
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鎌倉時代編
●西暦1195年頃
鎌倉幕府は文治元年(1185)守護・地頭の設置によって全国の軍事警察権を掌握した。守護には有力御家人を補任したが、はじめは異動がはげしく、その職は世襲されるものではなかった。
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南北朝時代編
●西暦1340年頃
鎌倉幕府が倒され、建武中興が行われたが、間もなく分裂して、約60年間の南北朝の争乱となった。さまざまなかたちで抗争がつづいたが、結局は足利氏を中心とする守護の力が国内の反抗をおさえて、守護領国を成立させた。
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室町時代編
●西暦1360年頃
足利尊氏から義満にいたる間は一族の内訌などもあって室町政権の基盤も動揺していたが、義満のときに南北朝合一をみて、足利氏による統一政権ができた。
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応仁の乱編
●西暦1470年頃
応仁の乱は将軍家の相続争いがきっかけとなって、細川・山名両氏の対立となって現われたが、それにつれて全国の動乱となった。その間に地方の豪族が台頭し、幕府・守護などにも反抗する気勢を示した。それらの新興の勢力が戦国大名へと成長していった。
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戦国時代中後期編
●西暦1550〜1570年頃
応仁の乱後約100年間にわたって全国的な争乱となったが、この間に大名領国制が成長し、下部では近世村落構造が作られつつあった。天文ごろには一国を単位とする大名領が生まれ、元亀・天昌には数ケ国を大大名ができ、全国統一への足がかりが作られた。
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織田信長の覇業と群雄割拠編
●西暦〜1582年頃
織田信長は濃尾平野を根拠地とし、地の利に恵まれていた。永六三年(1560)今川義元を桶狭間に討ち、元亀元年(1570)には浅井・朝倉連合郡を姉川に破った。武田信玄の死後、天正三年(1575)に長篠で武田勝頼に大打撃を与え、天正十年武田氏を滅ぼした。その直後、本能寺で倒れた。
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