宍道氏
四つ目結
(宇多佐々木氏流京極氏流)

 宍道氏は宇多源氏佐々木氏流の京極高秀の四男秀益にはじまる。秀益は意宇郡鳶巣に居城して宍道氏を名乗った。
 戦国時代、尼子氏との対立により周防山口に移り大内義隆に属し、吉敷郡糸米村に居住した。義隆滅亡後。山口姫山に居城し、その後、毛利元就に属し、出雲の本領を安堵された。政慶は毛利氏に従って戦功をたて、天正十二年には阿武郡大井村を拝領し居住した。そのこ元信のとき断絶したが、政慶の隠居所二千石をもって弟元智が相続し、さらに毛利秀就より五百石を加増された。
 江戸時代は寄組に属した。後裔の恒樹は大組物頭御使番などを歴任し、明治に入り文学寮助教となり、のちに赤間宮宮司となった。

■略系図