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二神氏
丸の内一文字*
(藤原姓豊田氏後裔)
*二神重則樣より御教示いただいた中島町二神島の二神氏の家紋です。


 二神氏は、瀬戸内海の二神島に拠った海の国人であった。とはいえ、もともと二神島出身の国人ではなかった。その祖は、延久年間(1069ころ)長門大掾に任ぜられて長門国に下向した藤原輔長といわれている。輔長は任期を終えたのちも京には帰らず、長門国豊田・大津両郡を開拓し、豊田郷の領主となり豊田氏を称した。
 豊田氏はその後着実に勢力を拡大し、防長において、大内・厚東氏と並んで有力な豪族に成長した。元弘三年(1333)三月、長門探題北条時直は、防長両国の軍勢を率いて伊予に進攻した。そのなかに、厚東氏と並んで豊田氏(種長か)が軍勢大将格として見え、また、平井城合戦で討死した長門国の武士のなかに「豊田手人々上下十人」と見える。
 南北朝期、豊田氏は足利尊氏の庶子直冬を支援して、将軍方の厚東氏に反抗し、ついで南朝方となった厚東氏と結んで、武家方の大内氏と対立した。しかし、一族のなかには、当初から尊氏に従って軍功を積み、越前国主計保を与えられた種治などもいた。

中世の動向

 種治の兄が種秀で、かれの死後、養嗣子種世と実子の種家が家督を争い、敗れた種家は伊予に流れて、二神島に土着して二神氏の祖になったという。種家の二神島移住の時期は定かではないが、南北朝末期の頃であろう。一方、種世の子儀種は、応永十四年(1407)、大内盛見の被官として見えている。ところで、伊予二神島に移った豊田氏がいつごろから二神氏を称したのかはわからないが、『安養寺大般若経奥書』にみえる種家の曾孫家経が初見である。
 室町期の二神氏の動向は、確実な史料に見えず、その実態は明かではない。現存する『二神文書』をみると、戦国期に、にわかに文書があらわれる感がする。また、室町期の文書は、一点も残存していないのである。
 文明十一年(1479)阿波国の細川義春が伊予侵入を企てたとき、二神氏は河野氏の命に従って忽那氏・重見氏と協力し宅並城の防備に当たった。同年十二月の河野教通知行宛行状には、二神四郎左衛門尉が風早郡粟井の安岡名・同友兼名・宮崎分を宛行われており、この時の戦功を賞されたものと思われる。さらに同十三年には、河野氏直轄領の代官を努めるようになっていたようである。こうして、二神氏は二神島を本拠とし、「二神島作職」を相伝しながら、さきにみた粟井郡の所領を相伝し、粟井郡反役職、河野郷役職に補任され、河野家臣団のなかで重きをなすようになった。そして、風早郡の宅波城に拠って宅波二神衆を形成し、河野氏の軍事力の一翼を担ったのである。
 ところで、南北朝期から室町期にかけて、瀬戸内の海賊として、忽那氏が勢力を有していた。しかし、応仁の乱を経て戦国期に入ると、永正二年(1505)忽那氏は河野氏の直轄領化した料所の代官に過ぎない立場になるなどその勢力に陰りがみえ、二神氏は忽那氏にかわって忽那諸島にも、勢力を伸ばし始めるのである。
 家直の跡を継いだ家真は、道後で河野教通のために戦い戦死した。孫の通範は始め風早郡雄甲城に拠っていたが、後に高穴城も守備し、粟井郷だけでなく河野郷をはじめ、他の地域にも勢力を拡大しているのである。

近世へ生きる

 元亀三年(1572)、阿波の三好氏が新居郡の石川氏と組んで侵入、川之江城・鷺の森・西条・恵良山城などで合戦が行われた。このとき、二神通範は大野氏・土居氏・重見氏らと中予の各地を転戦し三好氏の勢力撃退に努めた。 天正元年(1573)、喜多郡の大野直之は土佐の長宗我部と通じたため、通範は地蔵ケ嶽城を攻めてこれを落とした。その後の鳥坂の合戦で、二神越後守は勇名を馳せ、二神氏の名を高からしめた。
 天正十三年(1585)、豊臣秀吉の命を受けた小早川隆景が、河野氏追討のために伊予に侵攻してきた。二神通範は風早郡の高穴城に拠ってよく抗戦するもかなわず落城。河野氏の居城である道後湯築城も隆景に包囲され、河野通直も降伏するに至った。そして、秀吉は河野氏の所領を没収し、隆景に伊予国を与えたのである。
 所領没収の憂き目に遭った河野通直は、傷心の身を安芸国竹原に移したが、やがて病死した。二神氏は、悲運の主家の菩提を弔うために法要を続けたと伝えられている。その後、通範は朝鮮の役でも活躍したことが知られている。子孫は本島二神氏、風早二神氏に分かれて存続した。

参考資料:愛媛県史/中島町誌 ほか】


■参考略系図


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