徳川家康
その一生と一族を探る


苦悶する家康
戦国乱世まだたけなわの天文十一年(1542)十二月二十六日、三河岡崎城主松平広忠の長男として 家康は誕生した。最悪の政治環境のなかに生まれたといってようだろう。
当時、松平氏は東の今川義元、西の織田信秀に三河をくるみ割りにされ滅亡の危機に瀕していた。そして、 この危機を打開するために広忠は、今川氏の支援を受けて織田氏と対決しようとしていた。
そのために家康は、駿府に人質として差し出されなければならなかった。わずか六歳、まだ幼名竹千代と 呼ばれていたころであった。そして、足かけ十二年の不遇な生活を余儀なくされたのである。
このころ、織田信長は14歳、豊臣秀吉は12歳であった。奇しくも東海地方に生まれ合わせたこの三人の 英雄が、やがて日本の戦乱を終焉させてゆく。そして、その仕上げをなしたのが徳川家康、 その人であった。


コンテンツ
松平氏を探る -家康以前-
徳川氏の家紋 -三葉葵-
徳川氏の系図 -出自-
徳川家康の一生 -75年の生涯-
家康の子供たち
徳川家康の部将
・松平一門の家紋(大名家)
・松平一門の家紋(旗本家)
家康の盟友 -織田信長
家康のライバル -豊臣秀吉
家康が戦った戦国大名
・最後の将軍、慶喜
・三方ヶ原の合戦で完敗したのち、敗戦の痛みを心に刻み、 これからの人生における自戒とするために描かせたという苦悶の肖像


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