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大友氏の定紋は「杏葉」である。「杏葉」は大友豊後守親繁がこれを用いたと
『見聞諸家紋』に見える。杏葉紋は、シルクロードから中国を渡り、わが国に来た馬のアクセサリーである。
この紋ははじめ閑院家や中御門家の一門が用いた。武士の間では足利時代に広まった。形が珍しく異国的であることと、
その不思議な形に一種の呪符的な感をもったのではなかろうか。
大友氏は、この紋を大いに愛好し、功績のある部下に与え「同紋衆」として特別扱いにしたことは、よく知られる。
そして、それが杏葉紋の北九州地方に広まる要因ともなった。
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CONTENTS
●出自と家系を探る
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●家紋考察
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●大友氏史
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●戦国大友氏
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●鎮西の戦国大名
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・大内氏/・菊池氏
・島津氏/・毛利氏
・龍造寺氏/・伊東氏
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●九州三国史
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●覇を競った武家
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●一族・部将たち
●大友宗麟の一生
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●その後の大友氏
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【参考】
戦国史叢書「豊後大友氏」/日本の名族12巻の内"大友氏"/姓氏家系大辞典/尊卑分脈/戦国大名城郭事典/
古代氏族系譜集成/戦国大名系譜総覧/戦国大名370家出自総覧/日本史小百科「家系」/九州戦国史/
大分の歴史3巻-二豊武士団-、国史大辞典、その他出版物・各地図書館蔵書に助けられました。
(SINCE:2000-7/12)
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戦場を疾駆する戦国武将の旗印には、家の紋が据えられていた。
その紋には、どのような由来があったのだろうか…!?。
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