葛西氏は桓武平氏で、秩父氏の一族豊島氏の流れである。治承四年、葛西清重は源頼朝が石橋山合戦に敗れて
安房に逃れて以来、頼朝に属して戦功を挙げ、文治五年の奥州藤原氏攻めには、伊達郡阿津賀志山の合戦で
先陣となるなど武功著しかった。それらの功により、葛西五郡、胆沢・江刺・磐井・気仙・牡鹿・本吉・六十六島など、
宮城県北部から岩手県南部にわたる広汎な領土を得た。その後、隣接する登米・桃生郡をも併せ、最盛期、
その版図は葛西七郡、三十万石と称せられた。
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