毛利元就といえば「三本の矢」の故事が有名である。しかし、元就ほどの将が臨終の場に及んで、このような
遺訓を残すであろうか?「ひとえにひとえに武略、計略、調略かたの事までに候」という元就の言葉が遺っている。
「敵を知る」は勿論であるが、武略、計略、調略の土台は。「己を知った」うえで、厳しく「己を隠す」ことであろう。
生涯、二百数度の戦に臨んだ武将中の武将、元就の姿は妙に地味である。さらに「三本の矢」の逸話を誰かが
創作しなければ、もっと影は薄かったかも知れない。「三本の矢」に似た話は、中国の「西秦録」のなかにあるらしい。
【2000年3月】
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【参考】
日本の名族9巻"毛利氏"/戦国大名系譜総覧/戦国大名370家出自総覧/日本史小百科「家系」/九州戦国史/毛利元就とその時代/毛利氏のすべて/古代豪族系譜集成/姓氏家系辞典「山口県」、その他出版物に助けられました。
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戦場を疾駆する戦国武将の旗印には、家の紋が据えられていた。
その紋には、どのような由来があったのだろうか…!?。
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