かつて播磨国とよばれた兵庫県西部を歩くと、其処彼処に赤松氏の名残が驚くほど色濃く残っていることに気付きます。
そんな赤松氏の歴史とは……
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鎌倉時代末期に彗星のようにあらわれ、一躍、歴史の表舞台で大立ち回りを演じた赤松氏。
太平記の名場面には必ずといってよいほど、その姿をあらわし、ついには播磨から美作、備前を支配下におく太守となった。
十四世紀のはじめ、将軍足利義教を殺害して嘉吉の乱を起こし、居城に立て籠って天下の軍勢を相手に
一戦を交えた末に滅亡。やがて、不死鳥のように蘇るや、応仁の乱をきっかけに播磨の戦国大名に躍り出た。
戦国末期、
織田信長・豊臣秀吉の中国征伐の荒波にさらされ、近世を目前にして姿を消した赤松氏。
播磨国に住むものにとって、なんともいえない郷愁を感じさせる赤松氏の興亡に彩られた歴史を探索します。
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戦場を疾駆する戦国武将の旗印には、家の紋が据えられていた。
その紋には、どのような由来があったのだろうか…!?。
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