●本山氏没落の予兆
土佐の博物誌として知られる『皆山集』によれば、本山氏と長宗我部氏の抗争が熾烈をきわめたころ、梅慶の身辺に怪異現象が起こるようになった。さすがの梅慶も気味悪くなり、永禄元年(1558)六月、奈良時代に行基が開基したと伝えられる円行寺で僧侶を集めて大般若経を読み上げさせた。すると「怪鼡(かいそ)忽来りて壇上の燈油に己が尾を濡し、燈火を点して、天井に登りぬ、住持此怪異を見て毀滅の時節到来せるなりとて、徒衆の撲滅を制止せられし故、仏閣僧坊日記文等悉く灰燼と成ぬ」とあって、寺院は全焼してしまった。この不吉な怪異が本山氏の衰退につながり、永禄五年(1562)、長宗我部氏との戦いで朝倉城が落城し、長岡郡本山の地に退去していくことになったのだと伝えている。
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