土佐一条氏
下り藤/藤原北家道長流
土佐一条氏は藤原北家の流れで、近衛・鷹司・九条・二条氏と並んで五摂家の一つに数えられる名門であった。応仁の乱で戦場となった京都を避けて、鎌倉時代より荘園として支配する土佐国幡多庄に下向した。戦国時代になると飛騨の姉小路氏・伊勢の北畠氏とともに、公家の戦国大名化したものとして、「三国司」の一人に数えられた。一条房家は没落した長宗我部国親を庇護して、その再興に尽力した。しかし、国親の子元親が土佐一国を席捲するようになると、次第に圧迫を受けるようになり、ついに兼定の代に没落してしまった。
【更新2008_06/26】
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2008-06/26
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●享禄三年〜天正十五年(1587)
●九州の戦国大名。豊後府内城主大友義鑑の子。九州探題。豊後.豊前・筑後・筑前・肥後・肥前の六ケ国と伊予・日向の半国に大名領国制を展開した。永禄なかば、臼杵城に移り、キリスト教保護、南蛮貿易を行う。天正六年受洗、フランシスコと称す。天正六年(1578)、四万五千の大軍を率いて日向に進攻し、島津氏と決戦に及んだが、高城の戦いに敗れ、さらに耳川の合戦で壊滅的な大敗を喫した。
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