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戦国山城を歩く
西播の雄、宇野氏が築いた境目の城か─長谷高山城
長谷高山城は中国自動車道佐用インターチェンジを出た直ぐ正面の山上にあり、城址一帯は
「高山城ふれあいの里」として整備されている。中国道の高架を潜ると案内板と公衆トイレが設置され、
城址へと続く谷筋は落ち葉が散り敷く雑木林が広がるいい感じの里山風景である。
山上の曲輪に立てられた高山城址案内板の説明文によれば、
『高山は沖田平野の北端にあり、横坂遺跡、本位田遺跡、佐用郡比売の社、大撫山、長尾遺跡、円応寺遺跡等々が一望できる。尾根伝い北東四キロに奈良時代の創始という高伏山長谷寺があり、高山はその参道の入り口として鐘撞堂があったと伝えられる。
又、建久年間(約八百年前)に佐用荘地頭となった山田則景は隠居後ここに高山城を築いて住み、末子家範が生まれ、それがのち佐用荘南端の赤松に移り住み赤松姓を名のった。ここは赤松氏発祥の地と言われ、城跡は今も「千畳敷」と呼ばれている。』
とあり、地元の理解として長谷高山城は赤松氏発祥の地とされていることが知られ、『日本城郭体系』の解説も同様である。
一方、上月城址に入る前の尼子勝久が居城としたとする説もあり、陣城であったと推定される研究者もいる。しかし、実際に城址を歩いてみて、その規模の大きさからすれば、陣城というよりは宇野氏が築いた拠点城郭であったとする藤原孝三氏の説に惹かれるところが大きい。
・登り口の案内板に書かれた略図
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雑木林が広がる ・ 堀切に続く道 ・ 西斜面に落ちる竪堀 ・ 南端尾根曲輪から西方を見る ・ 尾根筋から二重堀切を見る
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城郭研究家 K さんの書かれた縄張図を手に整備の行き届いた山道を登っていくと、ほどなく土橋を伴った二重の堀切に到達する。堀切は西斜面へ竪堀として落ち、尾根南端部の曲輪と山上の曲輪群とを遮断している。尾根先の曲輪は古墳上にあり、かつては鐘撞堂が立っていたという。曲輪からは出雲街道と分岐した因幡街道が一望、見張り所としては抜群の位置を占めている。
曲輪外縁の一部に石積跡が確認できたが、古墳の名残か、鐘撞堂のものであったのか…。
尾根筋を遮断する 二重堀切を登ったところにも曲輪状の地形があり、そこから山上曲輪群へと続く尾根筋も
いい感じの雑木林である。西方の見晴もよく、滑りそうな落ち葉を踏みしめながら登っていくと竪堀があらわれ、南端曲輪の見事な切岸が前方を塞ぐ。同行したFさんによれば、南端曲輪の前には土橋を伴った堀切があり、
敵の侵攻を防衛していたというが現状からはその跡を見出すことはできなかった。
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尾根筋もいい感じの雑木林 ・ 山上曲輪南端の切岸 ・ 曲輪が連なる ・ 広い曲輪と切岸 ・ 山上曲輪群
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山上曲輪に至る城道は曲輪の東側にあり、西方の街道側から見えないように設けられている。そして、
山上の千畳敷と呼ばれる曲輪を要として南尾根筋と北尾根筋に曲輪が階段状に築かれ、
西方谷筋を包囲するように U 字形を呈している。
さらに、千畳敷曲輪から東に伸びる尾根にも曲輪が築かれ、尾根筋に工事途上と思われる堀切が切られている。
千畳敷曲輪は名前の通り広大な曲輪で、そこから北方の山並みを見ると利神城が天空の城のように眺望できる。
千畳敷曲輪から北西に伸びる曲輪群は北方に土塁をもった高所曲輪を主体とした輪郭式の縄張で築かれ、
西方谷筋の街道側切岸には土留めであったろう石垣が巻いている。石垣は三段積みのところもあり、
谷側の切岸が高いことから、大手は谷筋だったのではなかったかと思われる構造を呈していた。
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千畳敷切岸と城道 ・ 名前の通り広い千畳敷曲輪 ・ まるで天空の城−利神城跡 ・ 虎口か千畳敷東の竪堀 ・ 東尾根筋の大堀切(工事途上か)
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西尾根曲輪 ・ 西方に備える切岸 ・ 切岸の石垣 ・ 段状に築かれた石積 ・ 南尾根曲輪群を見る
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……………
長谷高山城の曲輪一つ一つは大きく、山上を主体とした城域も広い、石垣や切岸などの在り方から
西方に備えた城であったことは一目瞭然であった。同行のF氏によれば
宍粟宇野氏領国の西端を守る城だったのではなかろうかとのこと。そして、尼子氏が
美作・播磨に進出したとき、尼子氏と結んだ宇野氏は長谷高山城を西方の拠点城として改修、
尼子氏と連合して兵を配備したものではなかったかと加えられた。
実際、歩いてみた高山城跡の縄張は近世城郭に近いものを感じさせるが、竪堀や土塁などの防御構造に乏しく、
切岸も低く開放的な構造などから山岳寺院址を改修したと思わせるところもある。また、
東方尾根の曲輪や堀切が工事の中途にある様子(自然地形)は陣城であったようにも思われる。
いずれにしても、宇野氏そのものの歴史の分かりにくさもあって、長谷高山城の実体は不明というしかない。
これからも、長谷高山城の探索を続けられるという藤原氏の今後の成果に期待大である。
・長谷高山城の概略図
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戦場を疾駆する戦国武将の旗印には、家の紋が据えられていた。
その紋には、どのような由来があったのだろうか…!?。
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どこの家にもある家紋。家紋にはいったい、
どのような意味が隠されているのでしょうか。
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| ……
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