和田氏
丸に横木瓜
(伝清和源氏流) |
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丹波国の西南端に位置する播磨と境を接する山南町西部は、中世、氷上郡井原庄であった。南北朝期、久下氏が領有していたが、戦国時代になると岩尾城主和田氏が治めるところであった。
和田氏の来歴は不明な点が多く、確かな系図も伝わっていない。一説に清和源氏源満季の流れを汲む信濃国南和田(現松本市)の武士源頼綱が、至徳二年(1385)、丹波国市場之庄の地頭職に補任され移住してきたという。以後、代々市場之庄地頭職を継承した。一方、文明三年(1470)に谷出羽守基綱が信濃国南和田から丹波国井原庄に移住。嫡男頼衡があとを継ぎ、丹波国衆の一人になったとする説もある。
丹波和田氏のはじめ
和田氏の由来を知る史料として、慶長十三年(1608)に基俊の三男頼俊の後裔という梅田里兵衛が書き残した『和田庄内和田邑之由来』が知られる。それによれば、和田氏の祖は、六孫王経基二十代の子孫左衛門尉谷兵部介頼衡が和田村の地頭とあり、東は村森村、北は小野村・朝坂村の間、西は小野尻村槙山を領し、北内を市場の庄といったが、のちに和田の庄と名付けたという。その後、永正元年(1504)に兵部介の従兄弟という和田日向守齊頼なる人物が信濃国南和田という所から丹波に罷り越し兵部介のところに足をとめた。
日向守は若年ながらなかなかの人物で、男子のなかった兵部介は一人娘の婿として新たな屋形を築いて親子の約束を結んだ。ところが永正十年、日向守の家来中村某が兵部介のことを日向守に讒言、それを信じた日向守は兵部介を殺害、妻も尼となし、兵部介の所領を我がものとした。のち、中村某は悪行があらわれて日向守に処刑されたが、和田庄一帯は日向守が治めるところとなった。のちに讒言と知った斉頼は中村某を処刑したが、父殺しの汚名を拭うことにはならなかった。
岩尾城跡に登る
岩尾城は石垣の城と土の城が並存している山城。堀切、井戸、そして、見事な石垣が残っている。
おそらく石の城部は和田氏時代の土の城部の主郭で、いまの土の城部は大土塁で区画された北尾根の二の曲輪だったのだろう。
小振りな城跡だが、眺望は抜群、播磨ににらみを利かしていたことが実感される。
東方より城址を見る / 主郭南の堀切 / 主郭部高石垣 / 本丸の石垣
城址からの眺望 / 本丸石垣と大土塁 / 大土塁から本丸を見る / 大土塁を土の城から
土の城、北の堀切 / 土の城切岸と西の堀切 / 石金山から岩尾城を見る / 梅田家の墓所
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和田氏の家紋、考察
さて、岩尾城主和田氏はどのような家紋を用いていたのだろう。「梅田家の歩み」という書によれば「一族の家紋は丸の内に木瓜、代紋は丸の内に三つ星に一文字」とある。和田氏の一族という梅田家の墓所には、由緒が墓碑に記され、墓石には「丸に横木瓜」紋が刻まれていた。谷氏と和田氏の歴史を思えば、「横木瓜」紋は谷氏系の家紋であったと思われるがどうだろう。
一方、岩屋の石龕寺に和田氏の後裔という和田家の墓所があり、墓石には「剣酢漿草」紋が刻まれていた。しかし、国人和田氏の家紋であったとする確証は得られなかった。
岩尾城主、和田氏
永正十三年(1516)、領内の蛇山に新城を築いて岩尾の城と名付け、石蓮寺を建立して菩提寺とした。さらに所領の検地を行い、和田庄三千七百五十石の領主となった。こうして丹波に根を下ろした日向守齊頼は領内の新田開発に努め、境を接する栗作郷の久下氏と水争いを起こした。双方、一戦に及ばんとしたところを赤井氏(忠家か)の仲裁で井堰・溝を築き新田を拓くことに成功した。以後、日向守は赤井氏に従うようになったようだ。
天文十七年(1548)、日向守が病死すると、嫡男の作右衛門師季があとを継ぎ岩尾城主となり和田庄の領主となった。やがて、天正三年(1575)、織田信長の命を受けた明智光秀が丹波に兵を進めると、和田師季は荻野直正に属して岩尾城で明智勢と戦った。しかし、衆寡敵せず師季は討死、岩尾城は落城、和田一族は没落した。落ち延びた師季の子は豊臣家に仕えたといい、大坂の陣で討死したと伝えられている。
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■参考略系図
・丹波史の研究・梅田家の歩み・和田一統先祖講だより など
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