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安積氏
琴柱
(古代氏族後裔か)


 安積氏は、『安積盛氏着到状』などから播磨国宍粟郡安積保の下司公文職并びに三方西公文職をもつ国御家人であった。その出自に関して系図などは奥州安積より発祥したとするが、奥州安積は「アサカ」、播磨安積保は「アヅミ」とよみ、いささか信じがたい。
 安積氏は播磨国衙の在庁官人だった気配もあることから、安積保一帯を開発し名字とした古代豪族の流れを汲む武家であろう。また、安積保は揖保川と引原川の合流点であり、そこに集まる山林資源にかかる人・モノを勢力基盤とした山の武士という側面も有していた。

安積氏の歴史

 元弘の乱に際して盛氏は六波羅の召しに応じて出陣したようだが、護良親王の令旨を得、足利尊氏が鎌倉幕府に反旗を翻すと息男・盛兼とともに宮方に転じて相伝の所職を安堵された。ところが同年十一月、播磨大介新田義貞は三方西荘を大徳寺に寄進した。
 安積氏の本領である三方西郷公文職と大徳寺領になった三方西荘との関係は不明であるが、盛氏が建武新政に叛した足利尊氏に早い段階から従ったのはこのことと関係があったのかも知れない。貞和四年(1348)六月、院宣によって、足利直冬に属して紀伊の南軍征伐のために出陣したことが知られている。
 盛氏の子盛兼は、赤旗一揆に属して赤松氏とは別個の独自な動きを示したが、播磨の守護となった赤松勢力の伸長に伴いその被官となった。観応の擾乱では足利直義の命令で播磨に下り、石塔義房に属して光明寺滝野城に拠ったが、足利尊氏と直義の和議が成立すると尊氏方となり近江の鏡宿に尊氏方として加わり、また文和二年(1353)十月には赤松貞範に属して美作国英多城攻撃に参加している。
 そのときの軍忠状には赤松則祐が証判を加えており、赤松氏に対して心服せず、反復を繰り返していた安積氏が次第に被官化されていく過程を知ることができる。嘉吉の乱において将軍・足利義教の首を挙げたのは安積監物行秀であった。

安積氏ゆかりの史跡

安積古城遠望・端泉寺城跡・安積古城より安積保を見る

安積古城の主郭・安積古城の堀切・安積館址の土塁


 嘉吉の乱で没落した赤松氏が赤松政則によって再興されると、安積氏はふたたび赤松氏の被官として行動したようだ。やがて、長水城に拠った宇野氏が赤松家から自立して宍粟の地域権力化すると、安積氏は赤松守護家に属して宇野氏と対立するようになった。そして、従来の居館とは別に古城山に詰の城を築いたと考えられる。
 天正八年(1580)羽柴秀吉の播磨平定に、安積氏は置塩城主赤松則房に従って秀吉軍に属した。秀吉軍による長水城の落城後、安積将監は宍粟郡河東(一宮町)に百石を加増されている。
 関ヶ原合戦後の慶長六年(1601)、盛祐・盛秀らが播磨国主となった池田輝政とともに富土野鉱山にかかる文書に署名をしている。安積氏は中世の在地領主としての伝統を背景とし、近世を通じて地域社会に一定の影響力を保持したのだった。

安積氏の家紋

 安積氏は「琴柱」を家紋に用いていたという。現在、安積氏が拠った安積保の故地に安積名字の家を訪ね家紋を探った。思いのほか 安積名字の家は少なく、村墓地の古墓に「一つ巴」を刻んだ安積家があった。さらに、菩提寺であったという寶積山大成寺を訪ねると播磨安積氏の通字である「盛」の字を名前に用いる安積家の 墓所があった。しかし、そこに並ぶ墓石には家紋は刻まれていなかった。
 一方、宇野村頼の感状を伝える加西剣坂の安積家の墓地を訪ねると挙って「琴柱」を用いられていた。文様としての琴柱は鎌倉時代より 見られるが、紋章としては室町時代中期に馬の烙印として現れる。家紋としては後発組であり、 武家の紋としては優しい印象を受ける。中世、安積氏が軍旗に描いた家紋はどのようなものだったのだろう。

●安積城跡見学会に参加して西播磨に遠征
旧版の安積氏

■参考略系図
・掲載した系図はウェブサイト「タケネット」さんより情報提供をいただいたもの。藤原南家工藤氏流安積氏後裔というものだが、 本文にも書いたように「アサカ」と「アヅミ」の読みの相違、鎌倉末期における安積氏の動向などから推して系を 工藤氏流に繋いだ付会系図である。とはいえ、盛氏以後の系については受け入れてもよいように思われる。



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