戦国武将が懸命に生き、みずからの存亡を賭けた拠点となったのが城であった。戦国時代の城は、
たとえば姫路城のような石垣と白い土塀、瓦葺きの櫓といったものではなく、山上、あるいは河川や湖沼を
自然の守りとした、実戦的なものであった。
|山|城|訪|問|記|
いわゆる、江戸時代の城のように取り澄ましたものではなく、
文字通り、命のやりとりが行われたところであった。城主であった多くの戦国武将は近代を迎えることなく滅亡、
あるいは没落して、ほとんどの城址が自然に還ろうとしている。いま、城址を訪ねると、崩れかけたなかにも
往時の縄張りが見て取れる。そして、最高所の本丸跡に立てば、その城に拠った武将の野望が感じられてくるのだ。
・安土城址…天守閣跡の石垣 →
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