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戦国山城を歩く
松永久秀が築いた近世城郭の魁─
信貴山城訪問記
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日本ではじめて天守閣が築かれたという大和の信貴山城に登ってきた。
信貴山城は戦国時代の梟雄筆頭ともいうべき松永久秀の築いた城で、信貴山城の遺構は真言宗寺院信貴山寺の
山頂一帯にあり、はたして城跡遺構はどの程度残っているのか?正直なところ期待は薄かった。
開運橋から主郭のある雄嶽を遠望 主郭跡に祀られる空鉢護法堂からの眺望
信貴山城址のある信貴山は三十年近く前、単純に観光地訪問できたとき以来のことである。
信貴山寺へ踏み込む
信貴山案内図 巨大な張子の虎と本堂 信貴山朝護孫子寺の寺紋「毘沙門亀甲」
再訪して感じたことは、寺域に漂う神仏混淆の雑駁な雰囲気である。そして、名物のでかい張り子の虎も面白く、
山腹の本堂からの眺望も抜群、本堂地下の真っ暗な「戒壇巡り」で真の暗闇を体感する…、それだけでも
十分楽しめるところではあった。
信貴山寺から信貴山城へは、行者堂から山上の空鉢護法堂に通じる参道が登り道となる。尾根筋にたどり着くと、
雌嶽と雄嶽の分岐となり、雄嶽山頂にある護法堂が信貴山城の主郭部となる。
分岐点から雌嶽の方を見ると切岸状の地形が見え、クマザサ藪に分け入っていくと、ズバリ出丸の遺構であった。
振りかえれば、雌嶽と雄嶽を結ぶ尾根筋周囲にも曲輪址や横堀、堀切を思わせる遺構が散在し、
城攻めの実感がいやましてくる。
雌嶽とっかかりの切岸 雌嶽―尾根先の虎口と曲輪切岸 尾根筋の曲輪
空鉢護法堂の石積み、かつての天守跡か?
主郭切岸と腰曲輪 主郭の信貴山城跡石標 空鉢護法堂の境内舞台と大阪方面の眺望
信貴山城の主郭部は長方形を呈し、東端に帯曲輪、ついで城址石碑の立つ細長い曲輪、
そして空鉢護法堂が祀られる主郭部となる。主郭部からの眺望は抜群で、奈良から大阪までが一望である。
松永久秀はここに天守閣を築き、最期は爆死を遂げたことになっているが、見たところ天守閣が建っていたとは
思えない広さが意外であった。
城址案内図によれば、雄嶽山上の主郭を中心として北側の尾根に曲輪が散在し、
それは山腹を覆うように築かれ大和最大といわれるだけの規模を有した城であることが実感された。
登り道脇の横堀と曲輪切岸 主郭の説明板に描かれた城跡縄張図
主郭部北尾根の曲輪 松永屋敷への登り道 見事な切岸の高さと松永屋敷曲輪
まずは、松永屋敷と書かれた曲輪を目指した。護法堂へ登る林道が、城址を割るように設けられていて
迷うことはないが、林道建設によって遺構が破壊されたのではなかろうか?と心配する風景ではあった。
たしかに一部の破壊はあるものの、松永屋敷の梯郭状に築かれた曲輪、土塁、城道など
ほぼ完存といってよい状態であった。
段状に連なる松永屋敷の曲輪 松永屋敷西側の土塁 尾根曲輪の土塁−全体に「土の城」を感じさせる
尾根東端に切られた堀切 曲輪群の切岸は見事な高さ 井戸址と思われる窪み
城址探索は植林地はともかくとして、谷部の曲輪など灌木が生い茂るところもあり、
城址探索はスンナリとはいかなかったが、切岸、段状の曲輪などは見応えがあり、
尾根筋に切られた堀切もよく残っていた。とはいうものの、近世城郭の原点となった城だけに石垣が
多用されていると期待したが、「土の城」 状態であったのはチョット肩すかしを食った感は残った。
下山したところでアンケート調査をしている人と知り合い、聞けば、村おこしの重要な素材として信貴山城と、
平群谷を隔てる東方に存在する椿井城が着目されているとのこと。
十一月と十二月には両城探索のトライアルツアーもあるらしい、村おこしが活性化して信貴山城が整備されれば、
素晴らしい遺構が姿をあらわすことになると大いに期待したい取り組みだ。
今日の信貴山城の登山によって、松永久秀の築いた城は、摂津の滝山城、山城と大和の境目の鹿背山城、
大和南部の竜王山城とほぼ制覇した。それぞれ立地や歴史の差はあるが、いずれも松永流築城術ともいうべき
久秀のオリジナルな発想と共通した佇まいを感じさせている。
松永久秀の生き方はともかくとして、城つくりに関する限り、松永久秀はなかなかの器量を有する人物と思われた。
ひとつの可能性として、久秀がレッキとした家、せめて国人領主クラスの家に生まれていれば、
戦国時代も随分おもしろいことになっていたのではなかろうか…
● 登城 : 2011年09月25日
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[ 滝山城
・ 鹿背山城
・ 竜王山城 ]
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戦場を疾駆する戦国武将の旗印には、家の紋が据えられていた。
その紋には、どのような由来があったのだろうか…!?。
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どこの家にも必ずある家紋。家紋にはいったい、
どのような意味が隠されているのでしょうか。
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二百六十ほどが記録された武家家紋の研究には欠かせない史料…
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人には誰でも名字があり、家には家紋が伝えられています。
なんとも気になる名字と家紋の関係を
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