戦国山城を歩く
近江と京を結ぶ要衝を押える─如意ヶ嶽城


五山の送り火で有名な大文字山、その山上に如意ヶ嶽城址が残っている。はじめて築かれたのは応仁・文明の乱のころ(1467〜87)、 東軍の将多賀高忠によってと伝えられている。如意ヶ嶽城と呼ばれるものの、如意ヶ嶽そのものは城址の東方大津寄りのところにある。また、大文字焼きが行われる所は城址西方の山腹であり、 城址と山の呼称に関してはいささかややこしい。
城址は「如意越え」の道を取り込み、三角点のある頂上に主郭をおき、遺構は山上の尾根一帯に散在している。 山上からの眺めは抜群で、天候に恵まれればはるか大阪から奈良方面までも見渡すことができる。城址を歩くと 東方の緩尾根には三条の堀切が穿たれ、土塁を伴った木戸跡、尾根北方の斜面一帯に設けられたひな壇状の帯曲輪群跡、 それを取り巻くように築かれた長い横堀跡などが見事に残っている。西方尾根にも曲輪が連なり、 要所に土橋・堀切が穿たれ、なかなか規模壮大な山城である。

・将軍塚より如意ヶ嶽城址を遠望




鹿ケ谷の登り口は霊鑑寺が目印  霊鑑寺横の石碑  寺院跡の遺構が散在  楼門の滝  鹿ケ谷楼門跡か



俊寛山荘跡の顕彰碑  寺院跡らしき削平地  堀切道が続く  見事な竪堀  大文字四辻



竪堀と土橋  門跡を思わせる土塁  頂上の三等三角点  北面の帯曲輪群  土塁に穿たれた虎口か



城址北方を囲む横堀  曲輪切岸と横堀  土塁跡  主郭西方の土塁跡  四方曲輪群



西方の横堀  竪堀と土橋  最西端の土橋と竪堀  銀閣寺に続く尾根道  大文字焼きの火床

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三重堀切を見に再訪
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