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三木自綱
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明智光秀
●享禄元年?〜天正十年(1582)
●近江・丹波で五十万石を領知。安芸守光綱の子という。織田信長に従い、足利義昭の上洛に尽力。本能寺を急襲して、信長を自殺させた。山崎合戦では羽柴秀吉に惨敗。小栗栖で刺殺された。
斎藤道三
●生年不詳〜弘治二年(1556)
●美濃の戦国大名。『軍記物』によれば、京妙覚寺で修行していたが、還俗して山城国の灯油商奈良屋の女婿となり、
灯油を売るため美濃に往来していたという。その後、守護の弟土岐頼芸に仕えて、頭角をあらわし、ついには頼芸を追放、
美濃の実権を握った。しかし最近の研究で、妙覚寺で修行し俗した僧とは父・新左衛門尉のことであるといわれ、
父子二代で「国盗り」したという説が有力である。美濃国主となった道三であったが、晩年は嫡男義龍と対立し
長良川合戦で敗死した。
今川義元
●永正十六年(1519)〜永禄三年(1560)
●駿河の大名。兄氏輝の没後、家督を継ぐ。甲斐の武田信玄、相模の北条氏康と同盟して、西方への勢力拡大を図ったが、織田信長との桶狭間の戦いに敗れて討ち死にする。
徳川家康
●天文十一年(1542)〜元和二年(1616)
●江戸幕府の創始者。松平広忠の長男。三河を平定し徳川氏に改姓。三・遠・駿・甲・信五ケ国を領有す。豊臣政権下で関東移封、五大老の筆頭。大坂の陣で豊臣氏を滅ぼし天下統一を完成。
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織田信長
●天文三年(1534)〜天正十年(1582)
●織田信秀の嫡男。桶狭間の戦いで今川義元を倒し、尾張・美濃の軍事力を背景に足利義昭を奉じて上洛。天下布武の理念に燃えて全国統一を目指すが、本能寺の変に遭い未完の天下となった。
豊臣秀吉
●天文六年(1537)〜慶長三年(1598)
●武家としてはじめて関白に任官した。本能寺の変後に対立武将や戦国大名を屈服させて天下統一した。六歳の秀頼を遺して他界したため、豊臣家は衰亡の一途を辿り、大坂夏の陣で滅亡した。
前田利家
●天文七年(1538)〜慶長四年(1599)
●加賀藩主前田家の祖。尾張荒子出生。織田信長に仕え、各地を転戦。功により越前府中、さらに能登一国、後に河北・石川二郡を加え、金沢に移る。五大老の一人。豊臣政権下で家康に次ぐ実力をもっった。
佐々成政
●永正十三年(1516)〜天正十六年(1588)
●織田信長の部将。尾張比良城主佐々盛政の子。天正三年越前府中を与えられ、前田利家らと柴田勝家の与力。同九年越中一国を得て富山城に拠る。のち豊臣秀吉に属し、肥後城主となる。
池田恒興
●天文五年(1536)〜天正十二年(1584)
●織田信長の家臣。のち豊臣秀吉に与力。池田恒利の子で、母は信長の乳母をつとめた。信長の時に伊丹城主。秀吉により大垣城主を命じられ、長男元助は岐阜城主となった。小牧長久手の戦役で戦死。
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柴田勝家
●生年不詳?〜天正十一年(1583)
●はじめ、織田信行に属し、信長と戦ったが敗北し信長の家臣となる。家中随一の猛将として知られ、浅井・朝倉攻めで
軍功あり、北ノ庄城主となる。信長の妹お市を妻とした。のち、賤ケ岳の合戦で秀吉に敗れ自刃した。
竹中重治
●天文十三年(1544)〜天正七年(1579)
●半兵衛の通称で有名。播磨の黒田官兵衛と信長の部将当時の羽柴秀吉を支え、名軍師と称された。そもそもは、
美濃斎藤家の家臣で不破郡岩手城主竹中重元の子として生まれた。はじめ、斎藤義龍に仕え、ついで龍興に仕えた。
織田勢との戦いに活躍したが、凡庸の龍興に遠ざけられたため、奇計をもって稲葉山城を奪取するという離れ業を演じた。
その後、斎藤家を去って隠棲したが、木下藤吉郎の乞いをいれてその家臣となった。
浅井攻め、中国征伐に活躍したが、播磨三木城攻めの最中に病没した。
北畠具教
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九鬼嘉隆
●天文十一年(1542)〜慶長五年(1600)
●九鬼氏五代志摩田城城主定隆の二男として生まれる。嘉隆は地元の十三地頭(海賊衆)を平定し、滝川一益の仲介で
織田信長に属するようになり、長島一揆や熊野一揆、伊勢北畠家攻略に活躍した。本願寺攻めでは毛利水軍を破って
石山本願寺を孤立させ、功により鳥羽城主三万五千石を領した。信長没後は羽柴秀吉に仕えて領地を安堵され、
水軍の将として戦功をあげた。「関ヶ原の戦い」では子の守隆が東軍に、自身は西軍につき、戦後自殺した。
六角承禎
●大永四年(1524)〜慶長三年(1598)
●近江源氏・佐々木六角十三代観音寺城主、諱は義賢。流亡の足利将軍義晴・義輝を助けて、たびたび三好・松永党と戦う。
永禄十一年足利義昭を奉じて上洛する信長に反抗、わずか一日の戦いで落城、逃亡した。
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