徳川家康には、天下を取るまでの苦難の道をともにした多くの部将がいた。
四天王と呼ばれた、酒井忠次、本多忠勝、榊原康政、井伊直政をはじめとして、家康人質時代に岡崎の留守を守り、家康が戦った数々の戦場で死んでいった数多の三河武士がいた。
夏目吉信は、三方ケ原の合戦において、家康の身代わりとなって討死した。また、大久保一族はその多くの者が戦場に屍を晒した。そして、家康の駿府人質時代から側に仕えた鳥居元忠は、関ヶ原の合戦に際して、伏見城の守将として家康の覇業を目前に戦死した。
家康の三奉行として、仏の高力清長、鬼の本多作左衛門、どちへんなしの天野康景と異名をとった三人がいる。また、関ヶ原の合戦後から大坂の陣にかけての、風雲急な京都にあって、家康の政権樹立に粉骨砕身をした京都所司代・板倉勝重の存在も見逃せない。
武将として、あるいは能吏として家康を助け、功をなしたものがいる。反面、覇業の途上で戦死して名をとどめなかったものも多い。しかし、その一人ひとりが、徳川家康の天下取りを支えた者たちであったことは間違いのないところだ。
【右:本多平八郎忠勝着用の鎧】 |

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