赤松三十六家
赤松氏、庶子一族の分出
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赤松氏は佐用郡赤松村から興って、代を重ねるごとに、多くの一族を分出した。かれらはそれぞれ配された領地の地名を負って、播磨の地に多くの名字が生まれた。早い時期に分かれた家は、円心が赤松氏の名を挙げた、元弘の乱から南北朝期にかけて宗家を助けて活躍した。なかでも有力であったのが別所、佐用、宇野、小寺の四家で、この四家をとくに「赤松四天王」と称した。
円心以降に分かれた一族もまた、室町期から戦国時代にかけて、赤松宗家を助け、あるいは自立して播磨の要地に割拠した。これら一族を言い習わして、赤松三十六家と呼ばれている。とはいえ、赤松氏の系図は種々伝わっていて、そのいずれもが、にわかには信じ難いものが多いのである。ただ、播磨の地に住まいして、赤松氏とは何らかの関係があったことは否めない。いわば、赤松族と解した方が適切なのかもしれない。
■赤松三十六家の祖となった人物
青字の人物は、
詳細情報にリンクしています。
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■赤松氏初期系図(参考)
高坂 好氏著「赤松円心・満祐」所収系図を転載。
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