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福原氏
●二つ引両に三つ巴*
●村上源氏赤松氏流
*『福原則尚』肖像の直垂に描かれている。
 


 福原氏は赤松氏の一族上月氏の分かれで、上月景盛の孫景行が福原氏を称したことに始まる。景行は三郎藤馬允を称し、嘉吉元年(1441)京都で討死している。
 戦国時代後期、織田信長の中国進攻作戦が始まり、天正五年十月、羽柴秀吉を司令官とする織田軍が播磨に出兵してきた。秀吉は三木城主別所氏の協力を得て播磨国内の制圧に成功すると、ついで、生野から但馬に入り、朝来郡の岩州城・竹田城、養父郡の八木城を攻略し、弟秀長を竹田城にとどめて姫路城に帰った。

秀吉軍に抗戦

 但馬から帰った秀吉は、佐用郡上月城の赤松政範が、ひとり備前の宇喜多氏に属して従わず、また上月城が美作国に通じる要所であったことから上月城攻めの軍を起こした。十一月下旬、秀吉は竹中重治・黒田孝高の三千余騎の軍を先陣として佐用郡に攻め入らせた。
 当時の佐用郡には、赤松政範の拠る上月城を中心として、福原藤馬允則尚の拠る福原城、別所太郎左衛門定道の拠る平福の利神城などがあった。その他にも、赤松一族の小城や砦が方々に築かれていた。
 竹中・黒田の先陣は、福原城を目指して、福原城正面の高倉山に押し寄せた。『福原家記』によると則尚はかつて京に上り秀吉とは知友の間柄であり、秀吉から加勢助力の通知を受けていた。しかし、父左京進則高が血判までして宇喜多、毛利氏と誓約していたことで、父の意に背き難くついに秀吉と戦うに至ったという。また、則尚の室は政範の妹であったことも秀吉勢に対抗する要因になったと思われる。
 『黒田家譜』『隠徳太平記』を基礎とされた橋本政次氏の『姫路城史』や、小原啓志氏の『福原城戦記』や『佐用軍記』をよりどころとする『佐用郡誌』などを総合すると、このとき、高倉山を守備していたのは、則尚の妹婿で執事職にあった福原助就であった。竹中・黒田の軍勢は高倉山頂に迫り、助就らは敗れて福原城へ退こうと脱出をはかったが、黒田家臣の竹森新次郎次貞と、もと秀吉の家人であった平塚為広のために討ち散られたという。
 秀吉は竹中重治の献策で、城正面よりの攻撃をさけ、蜂須賀正勝の三百騎で釜須坂方面の増強に向け、福原則尚も弟の範仲を将として釜須坂の救援に向けた。しかし、釜須坂を守っていた別所定道は秀吉に降伏し、範仲は退却して大撫山麓に移ったが、秀吉軍に取り囲まれて討死した。その間、城主則尚は城を出て秀吉の本陣高倉山乗っ取りを策し鉄砲隊と戦ったが、範仲の敗死によってそれを断念、城に火をかけると福原家の菩提寺である高雄山福円寺に入り、一族従士五十余人とともに切腹した。十二月一日のことであったという。
・写真=福原氏の居城、佐用城祉


豊臣大名-福原氏

 ところで、則尚の四弟直高は秀吉に従って功を立て、豊後国府内城主として十二万石の大名となった。というが、豊臣大名の福原氏がはたして赤松系福原氏であったのか否かは詳らかではない。
 『甫庵太閣記』巻二十にある「小姓頭衆」という項目のなかに、福原右馬助・蒔田権佐・別所豊後守・長谷川式部少輔・宮本右京亮・中江式部少輔の六名の名が書き出されているが、筆頭に出てきた福原右馬助というのが、福原直高(長堯とも)のことである。
 秀吉の小姓頭から代官、さらには豊臣大名に取り立てられた人物で、石田三成と姻戚関係にあった。三成の女婿であったとも、妹婿であったともいう。直高の出世は三成のバックアップがあってはじめ可能であったと思われる。秀吉の死後、家康が豊臣家の内政に干渉するようになると三成の地位が下落、それに合わせて直高が府内城を追われたことでもよく分かる。
 関ヶ原の戦いが起ると、直高は石田三成との関係から西軍に属し、大垣城の守備にあたった。三成としても信頼のおける直高に、戦略的要地である大垣城をゆだねたのであろう。九月十五日の決戦で石田三成が敗れた後も、直高らは大垣城を死守していたが、全員の生命を保証するという家康の言によって開城した。その後、髪を降ろした直高は道薀と号し、伊勢の朝熊山麓の寺に向かったが山門近くで刺客に襲われて殺された。一説には、寺に入って自刃したともいう。・2007年11月13日

参考資料:佐用郡誌/三日月町史 ほか】



■参考略系図


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