【参考資料:丹波戦国史:歴史図書社刊/兵庫県史/氷上町史 ほか】
●赤井氏の家紋
赤井氏の家紋は「丸の内雁金」が一般的である。家伝によれば、為家の孫基家は足利尊氏に従って勲功を挙げ、二つ引両の旗を与えられたというが、近世、幕臣となった赤井氏の紋は『寛政重修諸家譜』に、雁金・撫子・蔦・十六葉菊・五七桐などがあげられているが、二つ引両はみられない。
現在、氷上郡青垣町佐治の妙法寺に蔵されている「赤井氏系図」には、黒井城主荻野悪右衛門直正の紋所が記されている。同系図は天正五年正月信井氏という人物が黒井兵主神社で書き上げたもののようで、天正五年といえば直正がまだ健在の時である。これによると
「井の内五三桐、隹麦(なでしこ)、丸の内雁金、左三つ巴、藤丸、丸の内沢瀉」
となっている。直正も随分たくさんの家紋をもっていたものであるが、これを子細に検討していくと、荻野直正の系譜の上での位置が判然としておもしろい。上記六つの家紋のうち「井の内五三桐、隹麦、左三つ巴」は葦田家の家紋であり、「丸の内雁金」は赤井家、「藤丸、丸の内沢瀉」は荻野家の紋所である。
直正の家系の赤井家は初代為家のとき、葦田家から分かれたものである。直正が養子に入った荻野家もまた、赤井家から分かれたものである。その結果、直正は養家である荻野家の家紋と、実家赤井家の家紋、そして本流葦田家の家紋をもっていたわけで、家紋が重視された当時ではこれらの紋所をみただけで、その血流を知ることができたのであろう。
なお、直正の信仰の篤かった兵主神社の神紋は「左三つ巴」と「藤の丸」、もと直正の館であった興禅寺の屋根には「藤の丸」が据えられている。
■参考略系図
・「系図綜覧」所収の赤井氏系図を底本に、「丹波戦国史」「寛政重修諸家譜」の系図を併せて作成した。
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