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戦国山城を歩く
丹波の赤鬼の居城、黒井城址
黒井城は「丹波の赤鬼」の異名をとる赤井直正の居城として有名で、丹波市黒井の北方にそびえる城山山上を中心とした城郭である。直正は明智光秀の丹波攻めに対して、八上城の波多野氏とともに抗戦した。直正が死去したのちも赤井一族は光秀に抵抗を続けたが、天正七年(1579)八月、ついに落城した。赤井氏が去ったのち、光秀の重臣斎藤利三が入城、春日の局は黒井城下で利三の子として生まれたという。山崎の合戦で明智光秀が敗れると、黒井城は羽柴秀吉の家臣堀尾吉晴が与えられ、その後、廃城となった。
黒井城址には見事な石垣が残っているが、これは赤井氏時代のものではなく、斎藤利三期から堀尾吉晴期に改修されたものといわれている。城址は主郭を中核として、四方に伸びる尾根に東出丸、西の丸、千丈寺砦、多田砦、三段郭などが築かれ、一大城郭を形成している。また、城下には居館址に建立された興善寺をはじめ赤井氏ゆかりの史跡が散在している。
・主郭からの遠望、素晴らしいパノラマ風景が広がる
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石生方面より城址遠望 居館跡の興善寺より 登城口の石碑 東出丸 見事な石垣
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虎口 主郭部を区切る堀切 石垣群 広い主郭 主郭北西の腰曲輪 |
主郭と下界の眺め 城址碑 櫓台の切岸 北西部の石垣と武者走り 石踏の段
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城下に残る赤井氏ゆかりの地を歩く
山麓の兵主神社 神社の藤紋 居館址に立つ興善寺 寺紋の藤 千丈寺の赤井氏供養塔群
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[ 赤井氏
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戦場を疾駆する戦国武将の旗印には、家の紋が据えられていた。
その紋には、どのような由来があったのだろうか…!?。
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