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戦国山城を歩く
遥かな山上の城、三尾城
三尾城は丹波の赤鬼の異名を取った黒井城主赤井直正の弟刑部大輔幸家が築いた城で、なんと標高586mの三尾山上にある。
明智光秀が黒井城を攻めたとき幸家は、明智方として出陣していた波多野勢としめし合わせて、三尾城址を出撃して明智軍を
背後から攻撃して敗走させたという。城址へは春日町中山方面から、篠山市西紀町佐仲方面からなどいくつかの登り道がある。
いずれにしても険しい山上にある城で、おそらく織田信長の丹波侵攻に対するために設けられた臨戦敵城砦であろう。
縄張りは峻険な山上にあることから堀切などはないが、東尾根から西尾根、そして南尾根に曲輪が階段状に
設けられ、腰曲輪・土塁なども築かれている。中の曲輪から主郭のある南尾根へは文字通り階段上に曲輪が連続、それぞれの
切岸も高く、守る側も攻める側も難儀したことであろう。
三尾城は明智方への前線の城として機能したが、天正六年十一月、幸家が但馬に出陣中の留守をついた明智勢の攻撃によって
落城した。三尾城を失った幸家は黒井城に入って明智方に抗戦を続けたが、翌年、赤井一族は
明智方に降り幸家は西紀の三尾山弘誓寺に隠棲したという。
・三尾山を遠望、見るからに峻険な山容である。
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