信濃井上氏
二つ遠雁
(清和源氏頼季流)


 井上氏は『尊卑分脈』によれば、清和源氏多田満仲の子源頼信の三男乙葉三郎頼季が井上三郎を称したことに始まっている。頼季は嫡男の満実とともに信濃国高井郡井上に来住し、地名をもって名字とし井上氏の祖となったのである。満実の嫡男遠光は井上太郎、二男光平は時田太郎、三男家光は井上五郎、次の盛光は高梨七郎、さらに九男の為実は須田九郎をそれぞれ称し、 井上惣領家を中心とする同族武士団を形成した。
 『尊卑分脈』を見ると、時田太郎光平は「幡文遠雁」、高梨七郎盛光は「幡文石畳」、須田九郎為実は「幡文鸚鵡」とあり、時田太郎光平の流れが井上党の嫡流となった。そして、井上の惣領家を中核として綿内の小柳・楡井・狩田・八町、 水内郡の長池・高田などに庶子家を分出、井上一族と雁紋は信濃に広まっていった。
 そもそも雁は昔から「幸せを運ぶ鳥」として尊重されていた。これは中国・漢の武帝の時代、西域への使者となった蘇武の故事にちなむもので、蘇武は凶奴に捉えられ、異郷にあること十数年、羊飼いをしながら我が身が無事であることを雁に託した。そして、ついには漢土に還ることができたのであった。 このように雁は幸せを運ぶ鳥として好まれた。
 わが国では『紫式部日記』、『一遍上人絵巻』などに一羽、あるいは数羽という風に雁文が用いられており、これらの文様から家紋に転じたものであろう。また、『源平盛衰記』には平家方の武将・薩摩守忠度が遠雁の紋を打った鞍を用いたとあり、同書には土佐坊昌俊が源頼朝から「二文字に結雁」の旗を賜ったとも出ている。源平時代のころより、武家の間で雁紋が用いられるようになったものと思われる。 雁紋は雁金ともいわれ、雁が飛んでいる自然な状態のものを「遠雁」、羽を結んだように描いたものを「結雁」と 呼び分けている。
 室町時代に成立した『見聞諸家紋』には、奉行衆の二番として井上右京亮貞忠の名がみえ、「二つ雁」を用いたことが 知られる。一方、故あって丹波に流された井上五郎家光の子孫は芦田を称し、さらに赤井・上林氏らが分れ出た。 なかでも赤井氏は丹波氷上郡の黒井城によって戦国大名に成長、その家紋は「雁金」であった。いまも丹波では井上氏、 大槻氏など「雁」を家紋とする家が多く、遠い昔は一族であったと伝えているそうだ。
 雁紋は井上一族と同じく信濃から興った海野一族も用いている。冬になると飛来し、春になると北国へ帰っていく 渡り鳥である雁は、雪の多い信濃国では春を告げる鳥として尊ばれたのではなかろうか。このように信濃の豪族が家紋に 用いたことから、いまでも信州によく見かける紋の一つとなっている。

・掲載家紋 : 遠雁(雁金) / 結び雁 / 二つ遠雁(見聞諸家紋より)


■信濃井上氏 ■丹波赤井氏



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