元号 | 西暦 | 出来事 |
明徳二年 | 1491 |
管領細川政元、関白九条政基の子を養子とする。→細川澄之 |
文亀三年 | 1503 |
管領細川政元、阿波守護細川義春の子を養子とする。→細川澄元
●細川氏、有力被官が二派に分裂して抗争することになる。 |
永正三年 | 1506 |
細川澄元、三好之長らを率いて上洛し、摂津守護に任じられる。
細川澄之、丹波守護に任じられる。 |
永正四年 | 1507 |
細川政元、澄之派の香西元長兄弟のクーデターで暗殺される
澄之、政元暗殺から38日後に澄元派の細川高国・政賢らの攻撃を受けて自刃に追い込まれる。
前将軍義稙が大内義興に擁立されて上洛。
澄元、澄之討滅の功労者高国を疑い離反に追い込む。 |
永正五年 | 1508 |
高国、義稙支持に転じ、細川家の家督を継承して管領に任じられ、大内義興らと連合政権を設立する。
澄元、近江に逃れる。
●澄元、永正六年(1509)、永正八年(1511)の二度にわたって京都に迫ったが、両度とも義稙を擁する高国・大内義興の連合軍に敗れる。以後、澄元は本拠地阿波に雌伏。 |
永正十七年 | 1520 |
澄元、軍を率いて入京。将軍義稙の支持を得て家督に返り咲く。
六角定頼の助けを得た高国の反撃にあって三好之長を失い、再び阿波へ没落、失意のうちに死去。
高国、義稙を追放して赤松家で養育されていた義晴を将軍に迎える。 |
大永六年 | 1526 |
高国、有力部将香西元盛を殺害。
元盛の兄弟波多野稙通・柳本賢治ら、澄元の子晴元の側へ離反。 |
大永七年 | 1527 |
細川晴元・三好元長、堺に上陸。足利義維を擁立して堺公方府を設立。
高国と将軍義晴は近江へ逃れる。 |
享徳二年 | 1529 |
高国、備前の浦上村宗のもとに落ち着き反撃を開始。翌年には柳本賢治を破って摂津へと進出。 |
享徳四年 | 1531 |
高国、摂津天王寺で大敗を喫し、大物で捕えられて切腹。 |
天文元年 | 1532 |
晴元、有力部将三好元長と対立、元長を攻めて殺す。
義維を追放し、天文三年、義晴を迎え、その二年後には管領に相当する地位につく。 |
天文十二年 | 1543 | >高国の養子氏綱が挙兵。 |
天文十七年 | 1548 |
晴元の有力部将三好長慶、氏綱擁立に転じたため晴元政権は危機に陥る。
長慶、晴元を破って入京。氏綱は幕府管領に任命される。 |
天文十八年 | 1549 | 晴元、将軍義晴・義輝父子を擁立して近江に逃れ、晴元政権は崩壊。 |
永禄四年 | 1561 | 晴元、長慶と和睦し、摂津普門寺に隠棲、二年後に死去。 |
永禄六年 | 1563 | 氏綱、摂津淀城において死去。 |
永禄七年 | 1564 | 三好長慶、河内飯盛城で病死。 |
永禄十一年 | 1568 | 織田信長、義昭奉戴して上洛。晴元の子昭元、信長に通じる。 |
天正四年 | 1576 | 昭元、信長の妹婿となる。本能寺の変後は秀吉に従う。
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