|
彦根城は国宝の天守閣がそびえ、水を湛えた濠、苔むした石垣、古い武家屋敷など、
誰もが思い描く城郭のイメージを備えている。
最近では、マスコットキャラクタ「ヒコニャン」が、ゆるキャラの王者として人気を集めている。
一方、近江の戦国時代の山城といえば、織田信長の築いた安土城、
近江守護として君臨した佐々木六角氏の観音寺城、
そして浅井氏の拠った小谷城などが全国的に有名なものであろう。
他にも、近江国には千以上におよぶ中世の城館址が存在している。
そして、それらの城館群は文字通り「土」で「成」った城で、
その多くは高い山の上に築かれた山城であった。
近江の山城群は、長い年月の間に樹木に覆われ、
そこに城があることすら忘れ去られたものも多い。
宅地造成や公共施設の建設などによって破壊された城郭も少なくない。
また、戦国山城址に残る堀切、土塁、曲輪は、彦根城のような近世城郭とは
比べるべくもない荒削りなものである。
しかし、樹木に覆われ、藪に埋もれた戦国時代の山城は、
戦国武将たちが自らの命運を懸けて築き、拠ったところであった。
浅井氏が拠った小谷城も山の尾根に曲輪や堀切を築いた典型的な戦国山城で、
山麓に築いた平時の居館と併せて城下町を形成していた。
さらに、湖北の山野に横山城、山本山城などの支城群を築いて家臣を配置し、
江北一帯に睨みを利かせながら、乱世に身を処したのであった。
・写真:踊るヒコニャン (彦根城にて)
|
|
戦場を疾駆する戦国武将の旗印には、家の紋が据えられていた。
その紋には、どのような由来があったのだろうか…!?。
|
|
どこの家にも必ずある家紋。家紋にはいったい、
どのような意味が隠されているのでしょうか。
|
|
地域ごとの戦国大名家の家紋・系図・家臣団・合戦などを徹底追求。
|
|
日本各地に残る戦国山城を近畿地方を中心に訪ね登り、
戦国武士たちの生きた時代を実感する。
|
|
|