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近江の戦国山城といえば、まず一番に織田信長が築いた安土城と答える人が多いのではなかろうか。
かつてあったという壮麗な天守閣・家臣たちの屋敷群こそ存在しないが、
安土城の遺構が残る安土山のいたるところに曲輪址、それを支えた石垣址が散在している。
かつては自由に登れたが、いまは有料(拝観料大人:500円)になり、登り口も料金所のところからの一箇所に限定された。
国指定の文化財安土城址を守るうえで仕方ないことだが、山城ファンとしてはちょっと残念なところだ。
天守閣跡から北方を見る、かつては水をたたえる内湖であった
むかし(2000年ごろ)きたときの安土城址は、発掘作業が進められていて工事現場のような雰囲気であった。ところが、いまは石垣や曲輪などがきれいに整備され、立派な説明板も設置されている・・・拝観料は有効に活用されているようだ。
料金所を入ると目の前に壮大な石段が山上へと続き、両脇には豊臣秀吉、前田利家ら家臣屋敷跡の
石垣が連なっている。石段には石材として石仏、五輪塔、さらには仏足石までが用いられており、
戦国武将の合理性に驚かされる。
城址は信忠屋敷跡、黒門跡、二の丸を経て山上の本丸へと続き、二の丸の一角には豊臣秀吉が
造営した信長廟が祀られている。本丸跡には千畳敷といわれた御殿の礎石が残り、
背後には天守閣を支えた高石垣が聳えている。
改めて登ってみて、やはり安土城址は素晴らしい城跡であった。城址の要所には標識や案内板が整備され、
木々や下草もほどよく刈り取られ、かつては木々で邪魔されていた天守からの眺めもバッチリだった。
石垣が残る山麓の家臣屋敷跡 大手から山上に続く石段
石段として用いられた石仏 天守閣跡の礎石群
下山は総見寺跡を経るコースを辿った。総見寺は信長がみずからの菩提寺として建立した寺で、
安土城の西方にあった。本能寺の変ののち、安土城が炎上したときには類焼を逃れたが、
幕末の安政元年(1854)に本堂など主要な建物を焼失してしまった。その後、本堂は徳川家康の
屋敷跡という曲輪に再建され、かつての寺域には見事な姿の三重塔、二王門が残り、
いずれも重要文化財の指定を受けている。
焼失した本堂跡からは西の湖が遠望でき、その遥か遠くに叡山の峰が連なる様は絶景である。
大手の石段から曲輪を経て本丸、天守閣跡へ、そして総見寺をたどる安土城址めぐりは、
その展望のよさも含めて戦国時代を堪能できるところだ。これで『500円は安い!』と思ったのだから、
まことにいい加減なものだ。
総見寺本堂跡から見た西の湖
総見寺二王門 金網越しに見た阿仁王像
安土城址は丹波の山城のように尾根を攀じ登り、雑木や藪の生い茂った曲輪や堀切を探検するということもなく
スッキリした城歩きが楽しめた。もっとも、城址の全域には雑木や藪に覆われた曲輪跡が多く眠っており、
それらを探索したい気持は強く持っている。しかし、それには面倒な手続きが求められそうで、
それが億劫ではあるが・・・。
● 登城 : 2009年2月3日
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戦場を疾駆する戦国武将の旗印には、家の紋が据えられていた。
その紋には、どのような由来があったのだろうか…!?。
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どこの家にも必ずある家紋。家紋にはいったい、
どのような意味が隠されているのでしょうか。
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