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久徳氏
三つ巴/山形に違い丁子
(近江中原氏多賀氏流)
・『久徳九代記』の表紙より。


 久徳氏は「きゅうとく」と読み、近江中原氏の流れである多賀氏の分れという。系図によれば、多賀兵庫助高信の子二郎定高が久徳氏の祖となっている。定高の甥にあたる高忠は京極氏の重臣として京都所司代に任じ、応仁の乱に活躍した多賀豊後守である。
 久徳定高は多賀氏の一族として京極氏に仕え、父や兄とともに動乱の近江を生きた。異説はあるが長享元年(1487)、諸処の合戦における功により現在の犬上郡多賀町久徳の地を賜り、芹川を外堀にした久徳城を築き久徳を称するようになったとある。以後、代々京極氏に仕えて乱世を生きたが、五代、実時のとき一大事件に見舞われた。

久徳氏の盛衰

 そもそも近江は佐々木氏が守護職に任じられていたが、室町時代、犬上川を境として北近江を佐々木京極氏が守護職に任じ、南近江を佐々木六角氏が守護職に任じられた。そして、応仁の乱において、両佐々木氏は東西に分かれて合戦を繰り返した。当時、京極氏の当主である持清は出色の人物として知られ、六角氏がおされ気味であった。やがて、応仁の乱最中の文明二年(1472)、持清が死去したことで京極氏は泥沼の内訌を生じて勢力を失墜していった。一方、六角氏は高頼があらわれ、京極氏をしのぐ勢いをみせるようになった。
 久徳氏の居城久徳城は、京極氏と六角氏の境目に位置し、その去就は困難を極めた。実時は娘を高宮城主の高宮氏、敏満寺の坊官新谷氏、多賀大社の神官犬上氏に嫁がせ、勢力の安泰を図っていた。
 京極氏の内紛によって北近江は混乱を続け、そのようななかから浅井亮政が台頭、ついには京極氏をしのぐ存在に成長した。浅井氏の勢力拡大を苦々しく思う六角氏は、北近江に兵を進め、浅井氏を追い詰めたが息の根を止めるまでには至らなかった。亮政のあとを継いだ浅井久政は六角氏に従ったが、久政の嫡男長政は六角氏への対立姿勢を見せた。浅井長政の奮戦によって六角氏はおされ気味となり、久徳実時は母を人質に出して浅井氏に属した。巻き返しを狙う六角義賢(承禎)は久徳氏、高宮氏、新庄氏らに調略の手を伸ばし、実時は六角氏に転じたのである。
 実時が六角氏に通じたことを知った高宮氏は、ただちに浅井氏にその旨を報じた。長政は実時の母を処刑すると、新庄・磯野氏らに命じて久徳城を攻撃した。久徳城は六角氏の援軍を待つ間に、多勢に無勢、久徳城は城主左近太夫はじめ城兵ことごとく討死して落城した。
 その後、久徳一族は六角氏の庇護を受けたが、永禄十一年(1568)、織田信長の上洛に抵抗して六角氏が没落すると、織田氏に属するようになった。元亀元年(1757)、浅井長政が織田信長と対立するようになり、姉川の合戦が起ると宗重・宗頼・郷時・秀政ら実時の弟たちは織田方として浅井勢と戦った。宗重の活躍は素晴らしかったようで、信長から三千石の黒印状を賜っている。こうして、久徳氏は久徳城に復帰したようで、翌元亀二年、浅井氏の命を受けた高宮三河守の攻撃を撃退している。  
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久徳城址から河内風穴へ


久徳城址は現在、市杵島姫神社の境内となっている。周囲を歩くと土塁の跡、本殿の周囲には壕跡と思われる遺構がみられる。まさに平城で、浅井氏の攻撃を受けたときはひとたまりもなかったのではないだろうか。


久徳城址から北方に車を走らせると「河内の風穴」がある。高さ1メートル程の入口を入ると、思いもよらない大空間が広がる。総延長は3323メートルと日本でも屈指の規模を誇る鍾乳洞というが、見物できるのは一層目の200メートルと二層目のみである。周囲は清冽な谷川が流れ、夏の涼しさは格別と思われる。

近世に生きる

 浅井氏が滅亡したのちは、豊臣氏に仕えたようで、三千石の黒印状を賜っている。しかし、関が原の合戦に際して西軍に加担したことから、所領を没収され没落の憂き目となった。かくして、久徳一族は四散したが、大名に仕えて武家として久徳氏、帰農して大百姓として続いた久徳氏など、文字通り人生いろいろとなった。現在、久徳の集落に久徳城址が残り、市杵島姫神社の境内として過ぎし昔を偲ばせている。

参考資料:多賀町史/久徳九代記/湖国と文化・第52号 ほか】


■参考略系図


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