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戦国山城を歩く
源平合戦に始まる城史、山本山城址
平安時代末期、以仁王の平家追討の令旨に応じた山本義経が拠ったのが始まりと伝えられている。世の山本氏の多くは、この山本義経を祖にするといわれている。戦国時代になると江北を支配した京極氏の被官の阿閉氏が本拠とし、永正年間(1504から1)には同じく京極氏の被官である浅見氏が詰めの城としていた。やがて浅井氏が江北に勢力を振るうようになると、浅井氏の被官となった阿閉氏が山本山城主となり、小谷城の重要な支城となった。浅井長政と織田信長が対立するようになると、山本山城は織田軍のl攻撃にさらされるようになった。阿閉氏はよく防戦につとめたが、
結局、織田方に降り小谷城の落城を決定づける要因ともなった。
城址は南北に長い山本山の山上にあり、縄張は主郭・中曲輪・北曲輪に分かれ、それぞれ大堀切によって区画されている。曲輪群は土塁によって囲まれ、それぞれの曲輪を隔てる堀切も深く、切岸も高い。南部に位置する主郭は東側に腰曲輪、その先の尾根に出曲輪が設けられ、城址東方を通じる北国街道を扼する構造となっている。城址からは東方正面に小谷城、西方には奥琵琶湖、北方に続く尾根は賤ヶ岳へと続いている。
一部、破壊されているが保存状態は極めて良好で、戦国山城を堪能できるところである。
・津里側から城址を見る
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山本氏発祥の地 ・ 山本義経の城址碑 ・ 城址へ ・ 曲輪状の地形が ・ 三の丸に到着
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三の丸の土塁 ・ 三の丸西の堀切 ・ 主郭南の二の丸 ・ 二の丸から奥琵琶湖を遠望 ・ 土塁で囲まれた主郭虎口
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見事な広さの主郭 ・ 主郭東の虎口 ・ 主郭の土塁と東腰曲輪 ・ 主郭北の大堀切 ・ 中曲輪東の土塁
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石垣の址か? ・ 土橋付きの堀切 ・ 中曲輪北の大堀切 ・ くの字に折れた土橋と堀切 ・ 見事な二重堀切 ・ 北曲輪へ
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小谷城を遠望 ・ 北曲輪北端の土塁 ・ 北曲輪直下の土橋と堀切 ・ 北曲輪切岸と堀切 ・ 主郭南の堀切から下山
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戦場を疾駆する戦国武将の旗印には、家の紋が据えられていた。
その紋には、どのような由来があったのだろうか…!?。
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日本各地に割拠した群雄たちが覇を競いあった戦国時代、
小さな抗争はやがて全国統一への戦いへと連鎖していった。
その足跡を各地の戦国史から探る…
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どこの家にもある家紋。家紋にはいったい、
どのような意味が隠されているのでしょうか。
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| ……
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