大掾氏
●対い蝶/三つ巴
●桓武平氏繁盛流 |
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鹿島氏をはじめ玉造・行方・真壁・小栗氏らの諸氏は、常陸平氏の流れで大掾氏を宗家とした。
大掾氏の家紋は『源平姓氏・家紋400大事典(1984年12月歴史読本臨時増刊所収・能坂利雄氏監修)』によれば,
「三つ巴紋」とあり、一族の麻生氏、石川氏、下妻氏なども三つ巴と記されている。これは、大掾氏が鹿島神宮の神事に
関わったことから、鹿島神宮の神紋である巴を家紋に用いるようになったものと考えられる。
しかし、
常陸平氏の家紋については、妙見信仰からきた「曜紋」とするものもある。いずれが、
大掾氏の紋であったのかを決定付ける史料がないため知るべくもないが、旗紋、幕紋などで使い分けた可能性もある。
一方で、『応仁武鑑』では大掾氏の家紋を
「対い揚羽蝶」と記している。その根拠は明らかではないが、
平氏の代表紋とされる「揚羽蝶」を大掾氏の家紋として採用したものかも知れない。
ちなみに、大掾一門諸氏の家紋を眺めてみると、鹿島氏は「三つ巴」、玉造氏は「二つ巴」、
真壁氏は「橘(関東幕注文には『はりひし=割菱』とある)」、小栗氏は「角の内に月(立波とするものもある)」、
芹沢氏は「七曜」、島崎氏 は「立波」を用いたという。見事にバラバラで、いずれが本来の大掾氏の家紋であったのかを
判断するのは難しい状態である。
おそらく、常陸平氏大掾氏の一族・一門は大掾氏を宗家とする同紋衆であったと思われるが、嫡庶の区別、
時代を経るなかでそれぞれが独自な家紋を用いるようになったものであろう。
このことは、家紋が時代の変遷とともに変化するものであることを如実に示すものであり、
大掾氏の惣領制が早い段階で崩壊していたことを示す傍証ともいえそうだ。
■ 大掾一族の家紋
(左より)・鹿島氏の三つ巴 ・芹沢氏の七曜 ・小栗氏の枡に月 ・島崎氏の立波
・図版は想定して掲載したものもあります。正しい家紋をご存知の方ご教示ください。
[大掾一族家伝]
■ 大掾氏
■ 鹿島氏
■ 真壁氏
■ 烟田氏
■ 玉造氏
■ 芹沢氏
■ 島崎氏
■ 小栗氏
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応仁の乱当時の守護大名から国人層に至るまでの諸家の家紋
二百六十ほどが記録された武家家紋の研究には欠かせない史料…
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