戦国山城を歩く
西播磨の雄・宇野氏の本拠長水城の南を固める─篠ノ丸城


篠の丸城は近畿と中国地方を結ぶ中国縦貫自動車道と姫路から鳥取に通じる国道29号線が交差する山崎インターチェンジの北方に位置している。築城主は諸説があって 明確ではないが、南北朝時代に赤松氏一族釜内小次郎範春によって築かれたといわれる。 嘉吉の乱が起こると釜内氏は赤松氏に与して篠の丸城も落城した。その後、赤松氏が 再興されると篠の丸城北方の長水山城主に宇野氏が配され、篠の丸城も修復されて宇野氏 の配下が城将となったようだ。
戦国時代になると宇野氏は西播磨の戦国領主に成長したが、尼子氏の侵攻によって 長水山城とともに篠の丸城も落ち、以後、尼子氏の属城として機能した。その後、西播磨を回復した宇野政頼は 長水山城を本拠とし、篠の丸城には嫡男の光景が入った。やがて、織田信長の命を受けた羽柴秀吉の 播磨攻めが始まると、その対応をめぐって宇野氏は長水山城の政頼と篠の丸城の光景とが対立、 光景は父親によって粛清されてしまった。その後、光景の家臣らが城を守ったようだが、秀吉軍の調略に応じて開城、 篠の丸城は秀吉方の手に落ちたのであった。

・長水城主の南の登る尾根先より篠ノ丸城址を遠望する



城址登り口より山崎の街を見る ・ 中腹出曲輪址(千畳敷 / いこいの広場) ・ 妙見宮の鳥居 ・ 九十九折れの道を登る


中腹より聖山城を遠望 ・ 主曲輪に到着 ・ 城址の石碑 ・ 広大な本丸(かつて妙見宮の社があった) ・ 本丸内部より見た虎口


本丸の供養碑 ・ 本丸を取り巻く土塁 ・ 本丸南東部の空堀(左二の丸方向)・ 空堀を見る ・ 二の丸へ(東屋が建っている) ・ 二の丸の南腰曲輪と切岸


山上に残る遺構は東西150m、南北100mを計り、南尾根先に千畳敷とよばれる平坦地がある。 城址は妙見宮があった方形の本丸を中心として、北・西・南の尾根先に曲輪を配した 梯郭式の縄張りとなっている。大手は本丸の南で、土塁を伴った虎口が切られている。
篠の丸城を特長づけているのは城址をとりまく横堀、 西方尾根に切られた三重の堀切、北尾根に築かれた段曲輪群であろう。遺構の残存状態は良好で、 本丸を西から南にまく土塁と空堀、腰曲輪・帯曲輪群の削平も充分で切岸もよく残っている。 本城にあたる長水山城と比較して、その規模こそ小さいが、縄張は篠の丸城の方が先進的な構造 であることが実感される。羽柴秀吉に敗れた宇野氏が滅亡したのち、 改修の手が入った結果と思われる。戦国時代後期の手が入った山城の妙味を堪能できる城址だ。



階段状に続く腰曲輪 ・ 二の丸西の堀切 ・ さらに堀切 ・ 最西端の堀切 ・ 曲輪を取り巻く横堀(二の丸北)


北曲輪群 ・ 北曲輪と主郭切岸 ・ 主郭から北曲輪を見る ・ 東南曲輪へ ・ 曲輪を取り巻く武者走り(主郭東)


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篠の丸城とはいうが、本来の篠の丸は城址から北西に続く尾根を 遠く歩いた先のピークをいう。城址は篠の丸から東に伸びた尾根先の一本松といわれる小ピークに位置しており、正確には一本松城址と呼ぶべきかも知れない。
篠の丸城址一帯は公園として整備されていて、中腹まで車で登れるようになっている。 子どものころハイキングで登山したり、山麓の最上山公園を友人たちとブラリ歩きをした思い出の地だが、城址探索を目的として登ったのは今回が初めてのことである。
山上の城址に立って驚いたのは、高校生のときに登ったころにあった立派な御堂がなくなり、 小さな石造の御堂が祀られていたこと、址一帯がきれいに整備されていることであった。これが、40年の時の流れというものだな〜と、なにやらシンミリと感じっいってしまう 光景ではあった。 ともあれ、篠の丸城はその有する歴史、城址の規模・残存状態など、 北西播磨を代表する戦国山城の一つだけに見応えは十分なところだ。

・往時の構居跡に立てられた近世山崎城址

[ 宇野氏 ・ 長水山城址 ]



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