.北陸の武将
日本海側の北陸道は、近江国に発して、越前より日本海の荒波に面し、古代は「越の国」とも呼ばれていた。
古くは藤原利仁を祖とする斎藤・富樫・林氏らの一族が広がり、室町時代には八曜紋を用いる富樫氏が
加賀守護として勢力があった。能登では鎌倉時代に下向した長氏の「銭九曜」、能登・越中の
守護職を務めた足利一族の畠山氏の「二つ引両」の紋が双璧であった。もっとも京に近い越前では、
応仁の乱で守護職に任じ、戦国大名としても一大勢力を誇った朝倉氏と一族が「三つ盛木瓜」を用いた。
いまも、北陸道には中世武家にゆかりの家紋が伝来しているようだ。
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戦場を疾駆する戦国武将の旗印には、家の紋が据えられていた。
その紋には、どのような由来があったのだろうか…!?。
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応仁の乱当時の守護大名から国人層に至るまでの諸家の家紋
二百六十ほどが記録された武家家紋の研究には欠かせない史料…
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