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戦国山城を歩く
船岡内藤氏の居城、藁無城址
藁無城は丹波守護代に任じられた八木内藤氏の一族が築いた城で、眼下には園部から日吉を経て美山に通じる街道が通り、
また東方には桂川の上流にあたる大櫃川が流れる要害の地にある。城址へは山麓にある林松寺後方の墓地から山上へ続く
山道があったというが、いまは風化してしまい判然としない。ちなみに、林松寺は城主内藤氏の普段の館といい、
石垣の下部は当時のままであるとのことだ。
城址に近づくと岩石が目につくようになり、山上の三角点が置かれたところが主郭だ。主郭より北方へ曲輪が続き、それを挟むように
東西に腰曲輪が設けられている。崩落した石垣?、土塁が確認でき、高くはないが切岸も残っている。そして、
北方尾根には一番の見どころである堀切が設けられている。総じて小さな城だが、それなりの先端技術を
もって築かれていることが見て取れる。また、北西にある大穴は竪堀の変形?蔵跡?、いや単なる崩落跡
では?などと空想をかきたてる所である。
・藁無城址を園部方面より見る(2007年1月19日撮影)
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居館跡という林松寺 登り口に鎮座する治宮神社 石垣か? 主郭下の曲輪
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主郭を見る 主郭北曲輪の土塁 土塁の石積 曲輪の切岸
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主郭東側の巨石群 北西の大穴、蔵跡か? 北尾根の堀切 堀切を上から見る
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帯郭から見た切岸 林松寺裏に下山 中腹から蜷川城址を遠望 ・集落で見つけた内藤氏独特の家紋「龍鼓」(2007年1月)
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[ 内藤氏
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戦場を疾駆する戦国武将の旗印には、家の紋が据えられていた。
その紋には、どのような由来があったのだろうか…!?。
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