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戦国山城を歩く
中世、上林谷を支配した上林氏の拠った−上林城址
山家を入り口として北方に細長く続く上林は、綾部の奥座敷とでもいうべきところで、室町時代から戦国時代にかけて、丹波黒井城主赤井氏の一族という上林氏が治めていた。上林谷は丹波から丹後に通じる街道が走り、上林城は街道をおさえる要衝を占めている。城主の上林氏は乱世で荒廃した君尾山光明寺の再建などに尽力したが、戦国乱世のなかで次第に勢力を失い、やがて山城の宇治に移住し茶業にたずさわるようになった。とはいえ、上林の所領も維持していたようで、
永禄十二年(1569)、連歌師里村紹巴が上林城を訪れたことが知られている。
上林城は見る角度によって「ひょっこりひょうたん島」のようにも見える小山で、西方を流れる上林川を自然の濠とする平山城である。江戸時代、上林一帯を治めた旗本藤掛氏が山麓に陣屋を構えたが、城址そのものは大きな改変は受けなかったようだ。城址へはかつての二の丸に立てられた上林山荘より登山道があり、
城址説明板が登り口の目印となっている。
・上林川を隔てた北方山麓にある上林禅寺より城址を遠望(20110405)
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山荘横の登り口 腰曲輪を見る 雑草の茂った登り道傍らの井戸址 主郭切岸と北郭 北郭から上林谷を見る
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主郭への登り 主郭に祀られた祠 主郭北側の土塁跡 主郭から北郭を見る…高い! 主郭南端の櫓台址と石積 |
登山道を登っていくと井戸址があり、雑草をかきわけて見れば(金網越しに)相当な大きさのものである。道はそのまま主郭虎口へと至るが、
主郭直下の左右には北曲輪と西曲輪が広がり、主郭と曲輪を隔てる切岸は見上げる高さである。
城址は山上の主郭を中心として北方と西方に腰曲輪、南方尾根にも曲輪が築かれた連郭式の縄張で、特徴的な遺構は山腹に築かれた段状の帯曲輪(武者走りか?)群であろうか。
主郭の東端には櫓台であろう土壇が築かれ、小振りな城だが近代城郭に通じる雰囲気を持った城といえそうだ。
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東方の尾根より主郭を見る 南郭−東帯曲輪 南郭切岸 上林氏の城らしく茶の木が 城址西方の帯曲輪群
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城址は公園として整備された時期があったようだが、いまは壊れた施設が無残な姿を見せている。各地の城址でよく見かける光景ではあるが、税金の無駄遣いであり勿体ないことである。主郭からは樹木が邪魔をするものの上林谷が一望でき、上林川を隔てる北方正面には上林禅寺が見える。
上林城が上林谷を治める格好の地にあることが実感される。
城址の残存状態は良好だが、藤掛氏の陣屋跡も含めてほとんど忘れられているように見える。整備にはヒト・モノ・カネがかかることではあろうが、
せっかくの郷土の史跡を荒れるにまかせるのはいかがなものだろうか。
・天然の濠をなす上林川越しに城址を見る
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[ 上林氏 ]
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戦場を疾駆する戦国武将の旗印には、家の紋が据えられていた。
その紋には、どのような由来があったのだろうか…!?。
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