戦国山城を歩く
遠く武蔵国から西遷してきた足立氏の本城


山垣城は加古川支流の遠坂川上流にある青垣町一帯は、かつて丹波国佐治庄と呼ばれ、鎌倉時代のはじめ足立氏が 地頭職を与えられた。承元三年(1209)、遠く武蔵から丹波に入部してきた足立遠政は、山垣集落の東方の万歳山西麓に 館を営み、山上に詰めの城を築いた。以後、足立氏は戦国時代に至るまで、佐治庄の領主としてよく勢力を保った。 足立氏が割拠した佐治庄山垣は西丹波の最奥部に位置し、 但馬との国境にあたる遠坂峠を越えて但馬に通じる街道を眼下に押える交通の要衝であった。 山垣城は万歳山の山上にあったことから万歳山城とも呼ばれ、いまも山上に遺構が残されている。西山麓の登り口にある遠政の墓所が大手にあたり、側に建立された顕彰碑の横から山上の城址へと登山道が整備されている。 城址は主郭を中心とした北曲輪群と二重堀切で隔てられた南の曲輪群とで構成されている。
戦国時代、黒井城の赤井氏が勢力を拡大してくると足立氏はその麾下に属し、但馬に対する押さえの任をになった。 おそらく、山垣城も修築され、但馬勢力に対する境目の城として機能したものと思われる。元亀二年(1571)、 丹波侵攻を目論む但馬の山名祐豊の攻撃をうけ山垣城は落城したようだで、しばらく山名氏の支配するところとなった ようだ。天正三年(1575)、赤井直正は但馬に進攻、竹田城を攻略し有子山城に迫った。この陣に足立氏は 先陣をつとめたかも知れない。赤井氏の猛攻撃にさらされた山名氏は織田信長に助けを求めたため、信長は明智光秀に 黒井城攻撃を命じた。以後、光秀による丹波攻めが断続的に勧められ、天正七年、織田軍による黒井城の一斉攻撃が 行われた。播磨からは丹羽長秀が、但馬からは羽柴秀長が丹波に攻め込み、 まず遠坂城が落とされ、ついで山垣城も落城して足立氏は没落したのであった。
・菩提寺-報恩寺から城址のある万歳山を見る




山上の城址へ  山麓の祠  整備された登り道  北曲輪三の丸へ  二の丸と本丸の切岸


本丸切岸と加平衛殿の段  西北端の曲輪  西北尾根  西北尾根先の曲輪?  土橋状の尾根道が続く


山垣城の主体部をなす北曲輪群は最高所の主郭から南側へ二の丸、三の丸が築かれ、さらに虎口受けと思われる小曲輪が築かれ二重堀切へと続いている。主郭から北西に続く尾根方面も階段状に曲輪が設けられ、その先の鞍部とはしかりとした切岸で守られている。鞍部を越えた尾根にも曲輪状の削平地があり、麓より上ってくる竪堀状の道が削平地の横堀を形成、さらに登ると土橋を思わせる細尾根、その先には十分な深さを持った堀切状の谷が続いている。 後世、山仕事用に作られたものかも知れないが、城址遺構にも見え判断に迷う地形である。
南の曲輪群は、二重堀切を越えてすぐの南の平と呼ばれる広い曲輪とその南直下の曲輪、そして周囲を帯曲輪が取り巻いている。南端部には横堀が設けられ、西側に竪堀が切られている。総じて小ぶりな縄張だが、自然地形をうまく利用しながら梯郭式に曲輪が配置され、 二重堀切、しっかりとした切岸や帯曲輪など見所は多い。



北曲輪と南曲輪を区画する三の丸直下の堀切  南曲輪北端の堀切  南曲輪西の腰曲輪  南の平  切岸と曲輪


東腰曲輪から曲輪を見上げる  段状に続く南曲輪  切岸は高い  南西端の竪堀  二重堀切を見上げる


ゆかりの地を歩く


菩提寺-報恩寺  史跡目印の案内板  遠政の五輪塔  登山口の足立氏顕彰碑  遠渓の開いた高源寺

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現在、城址一帯は植林されていて見通しは悪いが、木々の間より山垣集落を隔てた西方の山腹に足立氏の菩提寺となった万歳山報恩寺が見える。往時は西方を通る街道を眼下に見下ろし、足立一族の本城として一帯に睨みを利かしていたものであろう。青垣には城址西麓の遠政墓所をはじめ、遠政の孫光基の三男遠谿祖雄が開いた高源寺や 落城伝説を伝える山垣八幡神社など、足立氏ゆかりのスポットが散在している。


[ 足立氏   ]



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