戦国山城を歩く
内藤宗勝が赤井直正に備えた─大戸(塩貝)城


戦国時代、丹波は丹波守護代を世襲した船井郡八木城主の内藤氏、氷上郡黒井城 を本拠とする赤井氏、多紀郡八上城に拠った新興波多野氏が勢力を三分した。 大戸城のある胡麻は、かつての船井郡日吉町域の西部に位置し、城主は内藤氏に属した小林氏で あったとされている。
戦国時代、信長に先駆けて京畿を牛耳った三好長慶に仕えて頭角をあらわし、 やがて主家三好氏にとって代わり、乱世を奔放にのし歩いた松永久秀は 東の北条早雲と並ぶ乱世の梟雄として有名な存在だ。久秀とともに三好長慶の覇権を支え、 長慶の丹波経略に活躍したのは久秀の弟長頼であった。 長頼は当主が戦死した内藤氏を継いで内藤宗勝と改め、赤井氏、波多野氏らと抗争を繰り返した。 ついには八上城を攻めて波多野氏を降し、氷上郡を除く丹波を支配下におく一大勢力となった。
永禄四年、宗勝は若狭逸見氏の乱に加担して敗北、丹波における求心力を失っていった。 対する赤井氏は、天田郡から何鹿郡をうかがい、次第に勢力を拡大しつつあった。 内藤氏と赤井氏勢力の緩衝地帯となったのが日吉一帯で、内藤宗勝は 小林氏を支援して赤井氏の船井郡侵攻に備えた。その重要拠点として築かれたのが 大戸城で、東方の東胡麻城とセットで機能していたようだ。

・塩貝より大戸城(右ピーク)・鍛冶屋敷(左尾根)を見る



山麓の塩貝将監父子の墓石 ・ 城址への山道 ・ 尾根の分岐 ・ 鍛冶屋敷と大戸城址の分岐 ・ 鍛冶屋敷 ・ 北尾根より鍛冶屋敷を見る


鍛冶屋敷北辺部の土塁 ・ 尾根筋に切られた堀切 ・ 大戸城址北の大堀切 ・ 堀切は東西の斜面に竪堀として伸びる ・ 堀切西側は二重に


地元の伝承などによれば、大戸城は塩貝氏が城主といい西方山麓には塩貝将監父子の 墓石が祀られていることなどから塩貝城とも称される。山上の主郭にも塩貝城址の碑が立てられており、 大戸城の歴史を分かり難いものにしている。一方の東胡麻城は土豪宇野氏が築いた城で、 小林氏との間で合戦があったことが伝えられている。
戦国時代の日吉界隈においては小林氏が有力領主であったようだが、塩貝、宇野、さらに 世木の湯浅氏など土豪が割拠し、情勢によってその去就は流動的であったようだ。 内藤宗勝は塩貝氏・宇野氏らが拠る城を大改修して、赤井氏に備える城砦とし、 信頼する小林氏を城主に置いたものであろう。そして、ときには園部の 蟠根寺城衆を大戸城へ応援に送るなどして船井郡の掌握に務めた。



北腰曲輪と主郭切岸 ・ 西帯曲輪を見下ろす ・ 段状に続く曲輪群 ・ 広い主郭部 ・ 主郭から胡麻駅方面を眺望


主郭の塩貝城址石碑 ・ 西帯曲輪を見下ろす ・ 主郭切岸と西帯曲輪 ・ 主郭より見た北腰曲輪 ・ 主郭南端直下の堀切 ・ 南尾根筋の堀切



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大戸城は北尾根先の鍛冶屋敷と、南方山上の大戸城がセットになった二郭一城構造である。 鍛冶屋敷は周囲を土塁で囲んだ単郭構造で、大戸城のから伸びる尾根先を固める 出曲輪であったように思われるが、『丹波動乱(日吉町郷土資料館刊)』では織豊期の陣城ではなかったかとしている。 鍛冶屋敷と大戸城を結ぶ尾根筋に土橋を伴った堀切、大戸城の前衛にあたる北側直下に二重の 堀切が切られている。一際大きい南側の堀切は東西の斜面に竪堀として続き、西側は二重構造となっている。 曲輪群は山上の主郭を中心として北側に腰曲輪、西斜面に帯曲輪が階段状に配置され、 各曲輪の削平は入念に行なわれ、主郭の切岸は見上げる高さである。
主郭の南直下、その先の尾根筋にも堀切が切られ、南へと伸びる尾根は東の谷を捲いて東胡麻城へとつながっている。 現在、主曲輪部へは北堀切から登るようになっているが、往時は尾根筋の堀切から 東斜面を通り北腰曲輪の付け根に至る城道があったらしい。そして、主郭の虎口は西側中央部にあり、 西帯曲輪から小曲輪を経て虎口へと続く面白い構造になっている。
永禄八年八月、宗勝は着実に支配地域を拡大する赤井直正の動きを阻止するため出陣、 奥丹波における戦いで敗戦、八木城に落ちていく途中で討死してしまった。宗勝の死によって 丹波の均衡は破れ、船井郡は乱世に逆戻りした。 その後、信長の命を受けた明智光秀によって丹波は平定されたが、 光秀の丹波攻略の過程で大戸城も陣城として改修の手が入ったのではなかろうか。いずれにしろ 光秀の登場で丹波の戦国時代は終焉を迎え、小林氏ら在地領主たちも中世と訣別して 新しい時代への道を歩みだしたのであろう。

・大戸城址縄張図 (『丹波動乱:日吉町郷土資料館刊』所収、高橋成計氏作成のものを転載)

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