戦国山城を歩く
北摂の小武士団、西郷衆の一山田氏の居城─山田城址


中世、枳根庄に含まれた能勢北部一帯は、摂津と丹波の境目にあたり、清和源氏の子孫を称する西郷衆と呼ばれる小武士団が割拠していた。枳根庄の鎮守である式内社岐尼神社には、清和源氏の祖多田満仲が祭神の一柱として祀られている。また、川辺郡多田には多田満仲らを祀る多田神社があり、一帯の武士は多田御家人として多田社に奉仕し、その筆頭とされたのが川辺一蔵城主の塩川氏であった。
『多田社記』によれば、治安二年(1022)より多田出羽守満政の五男山田刑部大輔源忠国が山田御亀屋の城主で、山田城は亀ノ屋城とも呼ばれていた。下って、戦国時代の天正年間(1573〜92)には山田景村・同清左衛門景明らが城主であったといい、いまに残る山田城の遺構は景村・景明の時代に築造されたものであるようだ。
山田氏を含む西郷衆は四家八人衆と呼ばれる指導者がいて、四家は「水原(三原)・森本・大町・山田」、八人衆は「井内・森下・村井・小塩・得平・塩山・吉村・長谷」らの地侍たちであった。西郷衆は早くから枳根庄の開発治世につとめ、城砦を構え、一帯の領主である能勢氏に属して領地の保全につとめた。戦国時代、丹波の波多野氏、南方の塩川氏らの侵攻に際しては一致団結して防戦に努めたのであった。

・東方の能勢町役場より城址を遠望 (20100801)



南山麓の平坦地  一角に残る宝篋印塔の残欠  曲輪址か?  尾根筋を登る  西曲輪土塁と南西部の曲輪


西曲輪西端の土塁  土塁と井戸址?  西尾根の堀切  竪堀  土塁と東端曲輪  東南部の虎口


現在、栗林になっている城址南麓部は居館跡と思われる平坦地があり、そこから道なき尾根筋を直登したが、あとで東南山麓より薄らとだがかつての城道が残っているのを発見した。また、垂水側の民家後方にある井戸は往時のものといい、ここからも城址へ続く道があり大手であったと思われる。
西方より山田川に沿って伸びた尾根先に築かれた城址は、東の曲輪と西の曲輪の二郭で成り、二郭の間と西端尾根筋に堀切が切られている。両曲輪とも周囲に土塁をめぐらし、とくに東曲輪の西側土塁は見事な高さのものである。西曲輪の東南部に開く虎口は屈折した土塁を伴い桝形を形成し、堀切から北斜面に伸びた竪堀から攻めのぼる敵に対する横矢掛けとなっている。また、東曲輪部には石積みの井戸跡、西曲輪にも井戸跡であろう窪みがあり、籠城戦を意識したつくりとなっている。



西曲輪と東曲輪を分断する堀切  東曲輪の南西虎口  東曲輪西端の大土塁  石積の井戸址  東曲輪北東の虎口



東曲輪の土壇  東曲輪北東部の虎口  東曲輪東端の土塁  東端土塁より東尾根筋見る  東尾根より曲輪土塁を見る


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山田城は城館というべき小さなものだが、土塁・堀切、さらに桝形虎口、横矢掛けなど、戦国時代後期における先端の技術で作られていたことがうかがわれる。遺構の残存状態も良好で、見るべきところの多い城址である。
戦国時代、幕府管領で摂津・丹波の守護職に任じる細川氏の内訌が繰り返され、西郷衆が盟主と仰ぐ能勢氏は細川氏綱に与し、一蔵城主の塩川氏や丹波の波多野氏らは細川晴元に与して敵対関係にあった。天文十八年九月、塩川主膳・修理兄弟を大将とする塩川勢が乱入、対する山田氏ら西郷衆は能勢小重郎を大将として迎え撃ち、激戦となった。戦いは能勢方の勝利となり、討たれた主膳・修理ら塩川勢を葬ったところが多田塚としていまも残っている。
永禄十一年、織田信長が上洛してくると、時代は大きな転換期を迎えた。天正七年、信長に通じた塩川国満が織田信澄とともに能勢領に侵攻した。西郷衆は能勢氏に与してこれに抵抗したが敗れ、山田氏ら西郷衆の多くが討死、山辺一帯の諸城も落城した。かくして、北摂に割拠した西郷衆の中世史は幕を閉じたのである。はかなく滅んでしまった山田城を訪ねたあと、岐尼神社と森上城、月峯寺と山辺城なども併せて訪ねてほしい。北摂の中世から戦国にかけての歴史、縄張り妙味にとんだ城郭群とその戦略的位置づけが実感できること請け合いである。
・西郷衆の諸城砦マップ




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