戦国山城を歩く
西遷御家人─三刀屋氏興亡の跡、三刀屋城


三刀屋城は「承久の乱」の戦功により、出雲三刀屋郷の新地地頭職に補された諏訪部助長が承久三年(1221)に築いた ものという。諏訪部氏は清和源氏満快流を称する信濃源氏の分れといい、三刀屋に下向したのち三刀屋を称した ものである。三刀屋氏は十四代360年余にわたって三刀屋郷を支配、三刀屋城を拠点に奥出雲の有力国人領主として 勢力を保った。
戦国時代、尼子経久が台頭すると、三刀屋忠扶は経久に帰属し、久扶は尼子晴久の安芸郡山城攻めに従軍した。 郡山城攻めに失敗した尼子氏が大内氏に攻められると久扶は戦後大内氏に属して月山富田城攻めに従軍したが、対陣中に 尼子氏に寝返り大内氏の敗因をなした。晴久が死去すると、三沢為清等とともに毛利方に寝返り、尼子氏に三刀屋城を 攻められるが防戦、毛利軍の応援をえて尼子軍と地主峠で激戦を展開した。その後、毛利氏に仕えて九州出兵にも 従ったが、天正十六年(1588)に毛利輝元により追放処分を受け、久扶は出雲を去っていった。
三刀屋城は、南を三刀屋川、北側を三刀屋川の支流に挟まれた丘陵上にあり、南を備後から出雲へと通じる 出雲往来が通じる要害の地に築かれている。三刀屋氏がはじめに築いた城は北方の石丸城(ジャ山城)で、 この三刀屋城はその支城として築かれたものだというが、戦国時代に本城として用いられるようになったらしい。 城址は山上の本丸を中心に西方に二の丸、東方尾根の天神丸、南尾根に曲輪群を配した複郭式の山城である。現在、 城址山腹まで自動車道が設けられ相当の改変が加わっているようだが、 曲輪・土塁・石垣・堀切など中世山城の遺構はよく残っている。

・三刀屋川越しに城址を遠望



馬場跡に車を停め城址探索へ。馬場西方の伝馬舎跡南側の切岸には苔むした石垣が残っている。
城址一帯は公園化され登り道もよく整備されているが相当な破壊を受けているようで、駐車場と化している階段 状の区画も腰曲輪の跡であろうと思われる。

伝馬場跡  伝馬舎跡に残る石積  伝馬舎跡から腰曲輪を見る  往時の地形であろうか?  切岸にも見えるが?



主曲輪東の山腹には腰曲輪が築かれ、往時のものであろうか主郭南切岸には石垣が見えるが…往時のものか?。  主曲輪部は東西80メートル×南北30メートルの主郭と、東西40メートル×南北25メートルの二の郭、そして東端にある物見櫓台 で構成される。主郭と二の郭を区画する石積土塁は仕切土塁で虎口を兼ねたものといい、天守台を思わせる遺構である。 二の郭には城山稲荷神社が祀られ、物見櫓台の周辺には崩落した石垣が散乱している。主曲輪部を歩くと、往時は石垣を多用した堅固なつくりであったことがうかがわれる。
主郭部東尾根の腰曲輪  往時の石垣か?  十分な広さの主郭  主郭西部の石積土塁を見る  二の郭と稲荷神社   


石積土塁を北側から  物見櫓台へ  物見櫓台東下の腰曲輪  東尾根の藪の中にも遺構が散在  腰曲輪より西方を眺望


東方尾根の雑木の中にも曲輪址が階段状に連なり、切岸には土に埋もれた石垣が確認できる。さらに、主郭西方の藪に分け入ると 見事な大堀切があらわれ、その先には兵糧を蓄えたのであろうか腰曲輪が設けられている。国土地理院の地図を見ると、堀切で遮断された 西方の尾根に道が記されており、おそらく曲輪群が残っているのではなかろうか。どうしても公園化されたところに目がいってしまうが、 なかなかどうして見どころの多い山城である。


主曲輪部南の断崖  腰曲輪の向うに三刀屋川と市街  主郭直下の崖に残る石垣址?  西方尾根を遮断する大堀切
   二の丸北西直下の腰曲輪、中央の地裂は竪堀遺構か?。


三刀屋城址は公園として整備され、車で中腹まで登れることもあって簡単に攻略できる中世山城である。城址一帯は 桜見物の名所で、今回の初訪問は桜が見事に満開!多くの花見客で賑わっていた。どこまで破壊の手が入ったのかは 分からなかったが、登り道の左右に散在する曲輪群と岸、主郭の石垣土塁、物見櫓台など往時の姿は比較的残って いるように思われた。なによりも東尾根に残る曲輪群、西側の堀切とその先に築かれた腰曲輪と竪堀(地裂?)は 山城探索の醍醐味を十分に味わうことができた。 また、西尾根にも曲輪が残っているようにも思われ、冬枯れのころにジックリと再探索したいところである。
→馬場跡駐車場案内板の縄張図


[ 三刀屋氏 ]



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