長尾氏
九曜巴
(桓武平氏良文流) |
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長尾氏の家紋は、「九曜巴」として知られている。室町時代に成立した『見聞諸家紋』にも、
長尾氏は九曜巴とありその図柄も描かれている。また、鎌倉公方持氏が長倉氏を討った『羽継原合戦記』にも
「九ともえは長尾カ紋」とある。さらに永禄四年(1561)に、上杉謙信が記録させた『関東幕注文』にも
長尾但馬守「九ツともへにほひすそこ」、長尾孫四郎「九ツともへにほひすそこ」、
長尾能登守殿「九ともへにほひすそこ」と、足利・白井・惣社の長尾諸氏がこぞって「九曜巴」を
用いていたことが記されている。
そもそも、「九曜紋」は妙見信仰から生まれた家紋であり、桓武平氏良文氏流の諸氏が用いた。
なかでも有名なのが千葉氏で、九曜をはじめとする月星紋は千葉一族の代名詞ともなっている。
長尾氏も遠祖は良文であり、はじめの段階では「星」が九つの「九曜星」であったと思われる。それが、いつのころか
「星」を武神八幡宮の紋「巴」に変えてさらに強力な呪術性をもった「九曜巴」が生まれたと想像される。
そういう意味では、「九曜巴」は妙見信仰と八幡信仰とが凝縮された家紋ともいえよう。
『見聞諸家紋』には「九曜巴」を用いる武家として、細川氏の重臣香川氏が収められている。
香川氏も桓武平氏良文流で長尾氏とは同族関係にあった。これらのことから、「九曜巴」は鎌倉末期から室町初期のころには成立していたものと考えられる。
越後の長尾氏も「九曜巴」を用いたが、景虎のときに山内上杉憲政から上杉の「名字」と家紋の「竹に飛び雀」を譲りを受けて上杉を称して「竹に飛び雀」を用いるようになった。長尾氏は越後守護代として越後守護上杉氏を補弼したことから、「竹に飛び雀」は越後上杉氏から拝領したものと思われがちだが、上杉氏の本家である管領山内上杉氏から受け継いだものである。ちなみに伊達氏が用いる「竹に飛び雀」は、越後上杉氏から贈られたもので、家紋の格式からいえば長尾氏の方が上ということになろうか。
ところで、近世大名の板倉氏も「九曜巴」を用いたが、板倉氏は清和源氏の流れといい、長尾氏との関係はなかった。板倉氏の九曜巴は、巴の数から「二十七巴」とも呼ばれた。
・左から:九曜巴/九曜/千葉氏の月星
[長尾一族家伝]
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■上田長尾氏
■古志長尾氏
■白井長尾氏
■総社長尾氏
■足利長尾氏
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