松浦氏
三つ星/平戸梶
(嵯峨源氏渡辺氏流) |
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松浦氏の出自に関しては、嵯峨源氏渡辺氏流というのが定説である。すなわち、渡辺綱の曾孫にあたるという源久は、
肥前国にある「宇野御厨荘」の御厨検校に任ぜられて松浦に下向した。やがて、赴任地に土着した久は松浦の中心に
位置する今福梶谷に館を構え、
背後の城山に勝屋城を築き、松浦氏発展の基礎を築いた。
松浦氏の出た渡辺氏の家紋は「三つ星に一文字」で、「渡辺星」とも称されるほどに渡辺一族は挙って用いたが、
松浦氏と一党は宗家をはばかって「渡辺星」の一文字を外した「三つ星」を家紋としていた。三つ星とはオリオン座の
中央に列する三星にちなんだもので、オリオンの三星は大将軍星、左将軍星、右将軍星に擬えられ、三武、将軍星などと
よばれ武神として信仰された。もっとも、平安時代に、三つの円形を「品」字形に配した文様、いわゆる水玉模様が
用いられており、それが三星の謂れと結びついて家紋になったものと思われる。
将軍星とよばれるだけに、三つ星紋は武家の間におおいに広まった。
ところで、夜空に輝く星を西洋では「★」形に表現するが、我が国では「●」で表現している。
その呼称も易学の影響から「星」とは呼ばずに「曜」と称されることも多く、妙見信仰から生まれた星紋は曜星紋と
よばれる。もっとも有名なものが桓武平氏流千葉一族が用いた九曜・七曜などの多曜星紋である。妙見信仰とは天の中心である
北極星を妙見菩薩として具現化、弓箭守護の仏天として崇敬したものである。
九曜・七曜紋は北極星を囲んでまわる北斗七星を象ったもので、武の象徴として家紋に用いられるようになったものだ。
松浦氏は「三つ星」のほかに、「梶の葉」紋を用いた。梶の葉は諏訪神社の神紋で、松浦氏は本拠地とした梶谷に
諏訪神社を勧請して信仰したことから、梶葉紋を用いるようになったと伝えている。松浦党は海の武士として、
また倭寇と呼ばれる貿易集団として海を舞台に活躍したが、その守護神として諏訪神社を祀り、旗印には家の紋である
三つ星と神威の印である梶葉を描いていた。松浦氏の梶葉紋は、独特の意匠をしており「平戸梶」と称されている。
ほかに「二つ引両」紋も用いているが、これは源氏が多用する引両紋にちなんだものといわれている。
苛酷な戦国乱世を生き抜いた松浦鎮信は、豊臣秀吉の起こした文禄・慶長の朝鮮の役に際して、松浦党を率いて朝鮮に出陣した。
その船には赤地に三つ星の旗、船印として真っ赤な吹流しに白く抜いた三つ星が立てられていた。
朝鮮に渡った鎮信は異境を転戦すること七年、その陣に立てられた馬印は竹篭に黒い鶏の羽毛を
まぶしつけた「三つ団子」であった。別に「鶏毛三つ星」ともよばれたのは、
家紋「三つ星」を立体化したものであったからだ。ほかに「三つ星瓶子紋」「三つ星梶葉紋」の旗も用いたが、
瓶子は神酒を供える器、梶は御食を盛る器であり諏訪神の紋、いずれも神威を被る依代となるものであった。
鎮信は法印の位をえて入道「平戸法印」とよばれ、豊臣から徳川の世に移る難しい時代を生き抜き
近世大名平戸藩松浦家の初代となった。その背景には、鎮信自身の実力があったことはいうまでもないが、
「三つ星」と「梶葉」の加護があったのかもしれない。
・松浦氏の旗紋
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・掲載家紋 : 平戸梶 / 二つ引に三つ星 / 丸に二つ引両
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