戦国山城を歩く
政争に敗れた足利将軍を迎え入れた、近江の浮城


水茎岡山城は近江八幡城の西方、琵琶湖に面した頭山に築かれた山城である。伝によれば、南北朝時代に六角氏の 湖上警備の城として築かれ、戦国時代最中の永正五年(1508)ころより本格的な築城が行われたようだ。かつては 琵琶湖に浮かぶ水城であったが、戦後の干拓事業によって周囲が埋め立てられてしまい、戦国時代に「湖中の浮城」と いわれた風情はない。戦国時代の城主は、六角氏の被官九里氏であった。
水茎岡山城が戦国史に大きな足跡を刻んだのは、幕府内における抗争に敗れた十二代将軍足利義澄をかくまったことで ある。当時、幕府は管領細川氏の内部抗争が続き、将軍はまったく政争の具ともいえる傀儡状態であった。 義澄は細川澄元にかつがれて将軍職にあったが、細川高国と大内義興のかつぐ前将軍足利義尹(のち義稙)に 京を追われ、近江に逃れて岡山城に入り再起を期したのである。しかし、京への復帰はならず、永正八年(1511年)、 むなしくこの城で病没した。その後、六角氏と伊庭氏との間で抗争が起こると、 九里氏は伊庭氏に与して活躍したが、敗れて岡山城は廃城となった。
・東方より城址を遠望、左の山上に城址遺構が残る (2009_0201)



さざなみ街道脇の登り口 ・ 山腹の曲輪址の貯水場 ・ 城址東端に到着 ・ 主曲輪北西部の大土塁 ・ 東曲輪より見た土塁


土塁西端と主郭切岸が作る堀切 ・ 主郭北側切岸と帯曲輪 ・ 主郭東端の土塁 ・ 主郭南の帯曲輪 ・ 大堀切を見る


堀切へ ・ 竪堀を見る ・ 主郭東曲輪から堀切越しに西曲輪を見る ・ 見事な大堀切 ・ 主郭西曲輪の登り土塁


城址は南の大山と北側の頭山にあったが、内湖の埋め立て事業、さざなみ道路の敷設などにより遺構は少なからぬ破壊を受けたようだ。 とくに頭山側は、造成工事によってほとんど破壊されたようである。大山山上の城址へはさざなみ道路側にある「水茎岡山城址」の石碑が 目印となり、そこから山腹の貯水場まで溜息が出る急な階段が設けられている。
貯水場から細い山道を登りきると、そこはすでに城址東端の大土塁である。大土塁の南側に帯曲輪があり、そのまま城址の南側を まくように曲輪は続いている。東の大土塁と主郭切岸は、そのまま堀切を形成し、北側にも帯曲輪が取り巻き、帯曲輪の北側には土塁が 築かれている。主郭は中央の大堀切で東と西に区画され、それぞれ居住するうえで十分な広さをもっている。遺構の保存状態は悪くなく、 堀切・土塁・切岸・帯曲輪などなど戦国山城の醍醐味を堪能できる城址だ。
山上の曲輪群のほかに、山腹にも曲輪が設けられ、山麓には日常の居館があった。発掘調査によって居館址からは石垣が検出されたといい、 将軍をかくまった城にふさわしい結構を持った城址である。



主郭西端の虎口址 ・ 北の帯曲輪を見下ろす ・ 主郭西端の帯曲輪 ・ 主郭切岸と北側土塁 ・見事な切岸


土塁と武者走り ・ 遺構の保存状態は良好 ・ 北西土塁と主郭切岸が作る堀切を見る ・ 中腹より琵琶湖を見る ・ 近江八幡方面を遠望


……………
昨年、安土城を訪問したとき、岡山城を貫通する「さざなみ街道」を通った。そのとき、一見したところ小さな山で あり、将軍をかくまった城というには小さすぎる感をいだいた。今回、登ってみて意外にも大きくな縄張で、土塁、 曲輪、切岸、堀切などの保存状態もよく、 「なるほど!これなら…」と納得させられる素晴らしさであった。
政争に敗れてこの城で没した義澄はの子で十二代将軍となった義晴はここ岡山城で生まれた。義晴もまた細川氏の抗争に 翻弄され、勝ったり負けたりを繰り返して京と近江を往来した。そして、足利幕府は確実に衰退、義晴の子義輝は 下剋上によって殺害されるという最期を迎えた。
そんな足利幕府の興亡史に名を刻んだ岡山城、世の栄枯盛衰を惻惻と感じざるにはいられないところである。 今回は、山上界隈だけの探訪で時間切れとなったため、義澄が澄んだであろう山麓の居館址をたずねることが できなかったのは心残りであった。山腹の曲輪群探索と併せて、近いうちに再訪したいところである。




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