葛西氏
三つ柏
(桓武平氏良文流)
葛西氏は桓武平氏で、秩父氏の一族豊島氏の流れである。高望王の子村岡五郎良文の孫中村太郎将恒(常)が 武蔵介藤原真枝を討った功によって、下総国葛西郡を与えられたのが始まりとされている。源頼朝に仕えた葛西三郎 清重が奥州藤原氏攻めで活躍、合戦後、葛西五郡、胆沢・江刺・磐井・気仙・牡鹿・六十六島など、宮城県北部から 岩手県南部にわたる広汎な領土を得た。さらに、 「奥州総奉行」に任じられ、最盛期には三十万石と称せられた葛西氏発展の基礎を築き上げた。
葛西氏の家紋は「三つ柏」としてよく知られている。古代、柏の柔らかく弾力があり、その適度な大きさから、 食物を盛る器として用いられた。そして、神に供物を捧げる際の器としても使用された。このことから、やがて柏は 神社の紋となり、神事に奉仕する神官や有力氏子などが家紋として用いるようになった。いまでも、 「柏手を打つ」ということばが使われ、神意を呼び覚ますことをいう。
葛西氏の家紋について『奥州葛西実記』には、「関東下総国住人葛西三郎記清重は、頼朝公から奥州五郡を賜り、牡鹿郡石巻へ着いた。ここで入国祝宴の最中、空より三葉の柏が舞い下り、清重の盃に映った。これを瑞祥として家紋に三つ柏を定めた」と書いてある。加えて、「はじめて石巻に上陸した清重主従は日和山に城を築くことにし、 山頂において幔幕をめぐらして祝宴をはった。おりから晴れ渡った西空にかかり始めた半月と暮れの明星が、 清重の手にした大杯の酒に映ったのである。これを喜んだ清重は、三つ柏の紋に月星を付け加えた」という。 いずれも、よくできた話だが、葛西氏の三つ柏の場合、先端に月星を配しているのが特徴である。
葛西氏の三つ柏紋が、文治五年(1189)陸奥入部のときの瑞祥譚にちなんで決まったということは単なる口伝としても、葛西氏が「三つ柏」紋を古くから用いたことは疑いない。一関中尊寺の文明年間(1469〜87)に納められた葛西氏の西国巡礼願の納札に、 細い葉の三つ柏が見られることから、戦国時代以前より三つ柏紋であったことが知られる。
当時、奥州各地に柏は繁茂し、また、神葉として多くの神社で用いられていた。葛西氏が関東から陸奥に入部の記念に柏紋を用いたことは、柏が神聖な植物であること、みずからの瑞祥を記念する意味などを含め、きわめて自然な選択であったといえよう。また、葉先の月星紋のことは、葛西氏が同じ桓武平氏流の千葉氏と近い流れであったこと、 千葉氏から養子を迎えたことなどから付け加えられたと考える方が真実に近いのではなかろうか。
ともあれ、葛西氏宗家をはじめとして、葛西氏の一族、一門はこぞって「三つ柏」を家紋として用いた。また、戦功などにより、葛西氏から三つ柏紋を下賜され名誉の紋として自家の家紋とした武将も多い。 いまも、旧家などに伝わる系図などをみると、葛西氏から「三つ柏」を許されたことを誇らしげに書いている ことからも、葛西家中において「三つ柏紋」が尊ばれていたことがうかがわれる。
■葛西一族の家紋
●三つ柏 ●丸に三つ柏 ●隅切り角に三つ柏 ●丸に剣柏
●熨斗に三つ柏 ●抱き稲に三つ柏 ●亀甲に三つ柏 ●丸に蔓柏
●丸に一つ柏 ●亀甲に花菱 ●下がり藤
●丸に抱き茗荷 ●丸に隅立て四つ目結 ●丸に柏 ●丸に剣酢漿草
[葛西一族家伝]
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