諏訪氏
三ッ葉根あり梶の葉
(国造金刺氏の後裔/清和源氏説も)


 「梶の葉」は、信州の一宮である諏訪大社の神紋として有名なものである。諏訪氏は諏訪大社上社の大祝から武士化したもので、その家紋は「梶の葉」であった。

●梶葉紋の起り

 『諏訪大明神絵詞』によれば、神功皇后が新羅征伐のとき、諏訪・住吉の二神が、梶葉松枝の旗を掲げて先陣に進んだとあり、また、安倍高丸が謀叛したとき、坂上田村麿が伊那郡と諏訪郡との境、大田切という所で梶葉の藍摺りの水干を着て、鷹羽の矢を負い、葦毛の馬に乗った諏訪大明神に行き遭ったことが記されてある。しかし、絵詞は室町時代はじめの作であり、坂上田村麿の時代に神紋があったとは思われないが、梶葉紋が諏訪大社の神紋として周知のことであったことが分かる。
 このように、梶の葉紋は諏訪大社の神紋として、平安時代から始まったものと思われる。鎌倉時代の公式記録とされる『吾妻鏡』の治承四年(1180)九月の条に、甲斐源氏武田太郎信義・一条次郎忠頼らが、源頼朝の挙兵に応じて出陣したとき、諏訪上社の大祝篤光の妻が夫の使いとして、一条次郎の陣所に来て、「主人篤光、源家の再興を祈って三ヶ日社頭に参籠したところが、ある夜、夢枕に梶葉紋をつけて葦毛の馬に乗った勇士が、源氏の方人と称して、西を指して鞭を揚げたのは、これひとえに諏訪大明神の示現である」と告げたことが記されている。
 そもそも梶の木は神聖な木とされ、神社の境内に植えられていることが多い。また、神事に用いられたり、供え物の敷物に使われたりした。さらに和紙の原料にも用いられた。また、平安時代の七夕の際には、現代のような竹や笹に飾りを付けるのではなく、梶の葉や枝が用いられた。このように古代より、梶の葉は神木として尊敬されてきたのであった。

●足の数で、上社と下社を区別

 諏訪大社の神紋は「根梶」あるいは「根あり梶」と称され、三本梶に太い根が大地に食い込んでいる独特なデザインである。そして、上社では足が四本、下社は五本足となっている。のちに一族が近世大名に生き残った諏訪氏の場合、上社の流れをひいていることから「四本足に三本梶」を用いていた。また梶の葉紋とは別に、諏訪大社の神使とされる鶴にちなんだ「鶴丸」も用いていた。
 ところで、諏訪大社の神官は諏訪上社の諏訪氏であり、下社の金刺氏であった。また、諏訪党を総称して神氏とも称され、多くの庶子家が分かれた。手塚・有賀・保科・上原・知久・藤沢などの家がそれである。そして、これら庶子家の家紋は「梶の葉」であった。また、鎌倉時代に島津忠久が信濃国塩田荘の地頭となり、諏訪神をあがめ、のちに薩摩に移ったとき諏訪明神を勧請したことから、薩摩にも梶の葉紋が広まった。
 他方、肥前の中世豪族で近世大名としても続いた松浦氏も梶の葉紋を用いた。松浦氏は嵯峨天皇の後裔で、渡辺綱で有名な嵯峨源氏の分かれで、嵯峨源氏の代表紋は「三つ星に一文字」にちなむ「三つ星」を用いた。それが「梶の葉」を家紋としたのは、松浦氏の祖が肥前国松浦郡に住して松浦を名乗り、同郡内梶谷に居を構え、諏訪神社を勧請したことから、梶紋を用いるようになったと伝えている。そして、松浦氏の梶の葉紋はとくに「平戸梶」と称されている。
 このように「梶の葉」紋は、いずれの場合も諏訪神社の信仰にちなんで用いられるようになったことが知られるのである。



【左から:五本足に三本梶(諏訪下社)/梶の葉/平戸梶の葉】


[諏訪一族家伝] ■諏訪氏 ■高遠氏 ■藤沢氏 ■金刺氏


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