|
■
戦国山城を歩く
小倉実澄が拠った佐久良城
小倉氏が室町時代初期に築き、本拠とした佐久良城址。地元では「下の城山」と呼ばれ、応仁の乱に際して小倉氏に庇護された京都相国寺の僧横川景三の書に詳しく書き記されている。城址は八幡神社の後方の山全体で、土塁・堀切、城内庭園・石垣などが確認でき、中世城址として貴重な遺跡となっている。
城址を歩くと本丸に続く土橋の両側の深い堀切、そして本丸を囲む土塁の高さに驚かされる。土塁・堀切には石垣の跡、
搦め手から北方に歩くと竪堀、北側の土塁で囲まれた道を進むとお馬洗いの池に出る。いまも水をたたえる様子から、
佐久良城の重要な水の手であったことがうかがわれる。佐久良城の大手には小倉氏が勧請した八幡神社が鎮座し、
また、南側すぐのところに菩提寺であった神護山仲明寺が小倉氏の名残を伝えている。
・右:現地説明板の案内図
|
城址を遠望 ・城址の碑 ・城址登り口(パンフレットあり) ・武器庫になったという古墳址 ・横堀址
|
城址へ続く土橋 ・主郭大手の横堀 ・主郭の土塁 ・搦め手門の址 ・主郭を取り巻く土塁
|
|
大手口に残る石垣 ・主郭の池泉跡 ・搦め手門を見る ・城址土塁を見上げる ・馬洗いの池跡
|
主郭切岸と横堀 ・主郭大手横堀の石垣 ・八幡神社(曲輪址か) ・八幡神社本殿 ・菩提寺-仲明禅寺
|
|
小倉氏
|
戦場を疾駆する戦国武将の旗印には、家の紋が据えられていた。
その紋には、どのような由来があったのだろうか…!?。
|
|
地域ごとの戦国大名家の家紋・系図・家臣団・合戦などを徹底追求。
|
|
どこの家にもある家紋。家紋にはいったい、
どのような意味が隠されているのでしょうか。
|
| ……
|
|