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戦国山城を歩く
戦国大名、蒲生氏郷を生んだ日野城
日野氏の居城は音羽の城山にあったが、御家騒動によって音羽城は廃城となり、天文二年(1533)蒲生定秀が三年の歳月をかけて築いたのが日野(中野)城である。蒲生氏郷はこの城で弘治二年(1556)に誕生した。かつての城域の大部分は、日野川ダムが築かれたことによって水没してしまったが、稲荷神社・涼橋神社が祀られる丘陵に、石垣、堀切などが残っている。稲荷神社は鬼門除けとして祀られたもので、そのさきの台地は物見櫓跡といい、仔細に歩くと往時の面影を感じることができる。
日野城址の一部は、江戸時代に日野を領した西大路藩の陣屋として使用され、いまも陣屋跡が残っている。涼橋神社は市橋氏の祖先六孫王を祀ったものというが、横死した藩主の怨霊を鎮めるために建立されたともいわれる。
・紅葉の日野城址(20081204)
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城址の茶畑 ・ダム側から本丸址を見る ・水濠址 ・土塁の址
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椋橋神社から稲荷神社を見る ・稲荷神社 ・物見櫓と祠 ・横堀を見下ろす ・見事な石垣
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城址碑 ・稲荷神社の鳥居と石垣 ・石段は往時のものか? ・曲輪址か?広場 ・仁正寺藩陣屋址
城下を歩く
蒲生氏菩提寺-信楽寺の三つ巴紋 ・信楽寺の氏郷遺髪塔 ・蒲生貞秀の墓 ・近江馬見丘綿向神社 ・仁正寺藩主市橋氏ゆかりの三つ菱紋
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蒲生氏
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戦場を疾駆する戦国武将の旗印には、家の紋が据えられていた。
その紋には、どのような由来があったのだろうか…!?。
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どこの家にもある家紋。家紋にはいったい、
どのような意味が隠されているのでしょうか。
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| ……
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