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高島氏
四つ目結
(宇多源氏佐々木氏流)


 高島氏は近江源氏として知られる佐々木氏の一族である。佐々木氏は、宇多天皇の皇子敦実親王が子の源雅信の子扶義を養子とし、その扶義の子成頼が近江国蒲生郡佐々木庄に居住し、佐々木氏を称したのがはじまりといわれる。平安末期の秀義は平治の乱に源義朝に属し、以来、源氏とのつながりを密接にしている。しかし、平治の乱で源氏が没落すると、秀義は世を隠れて関東の地に雌伏した。やがて、源頼朝の旗揚げに際して息子たちとともに参加し、平氏との合戦において、佐々木一族は大活躍をして、鎌倉幕府成立後には、各地の守護職に補されて一大勢力を築くことになった。
 承久三年(1221)、後鳥羽上皇の討幕行動である承久の乱が起ると、惣領の広綱をはじめとした佐々木一族の多くは上皇方に味方して没落した。そのなかで、幕府方に着いた信綱の流れが佐々木氏の主流となったのである。

歴史への登場

 承久の乱後、佐々木惣領家と近江守護職を継いだ佐々木信綱は近江守に任じられ、また評定衆にも選ばれて有力御家人としての地位を固めた。
 信綱には四人の息子がおり、仁治三年(1242)に信綱が死没するとその所領は四人に分割された。長男の重綱は坂田郡大原荘の地頭職を得て大原氏を名乗り、次男高信は高島郡田中郷・朽木荘の地頭となって高島氏を名乗った。そして三男泰綱が宗家を継いで近江南六郡を与えられて六角氏を名乗り、四男氏信は近江北六郡を与えられて京極氏を名乗ることになったのである。
 三男の泰綱が長兄・次兄をさしおいて家督に選ばれたのは、母が執権北条泰時の妹であったことと、近江国に強大な勢力を持つ佐々木氏を牽制しようという幕府の狙いがあったと言われている。
 高信には数人の男子があり、長男泰信は佐々木四郎信綱の孫の四郎左衛門尉を意味する「佐々木孫四郎左衛門尉」の名で『吾妻鏡』に登場する。次男頼綱は弘安八年(1285)の霜月騒動における活躍で出羽守を受領した。この頼綱の子孫が朽木氏であり、以後朽木氏は出羽守を世襲官途にした。こうして高島七頭は、有力御家人の仲間入りを果たしたのである。泰信の長男泰氏は左衛門尉に任官し、のちに従五位下越中守に補任されて受領。以後、高島氏は越中守を世襲官途として越中家とも呼ばれた。
 いずれにしろ、高信の子孫は西近江に地盤を築き、嫡流高島氏を中心とする朽木・永田・平井・横山・田中の高島一族、そして狭々貴系山崎氏を含めて「高島七頭」と呼ばれる武士団に成長することになる。  かくして高島七頭は、有力在京御家人として重視され、室町時代にも幕府奉公衆として勢力を維持した。しかし、戦国末期に滅亡の悲運にあったことで史料が失われ、その系譜・歴史に関しては不明な点が多い。

●居城 - 清水山城

 さて、高島七頭の総領家である高島氏の居城とされるのが清水(せいすい)山城で、戦国時代の幕開けとなった応仁年間(1467-69)頃に築城を開始し、織田信長が高島に侵攻するまでのおおよそ百年間存続したものとされている。その規模は、家臣団の住居跡等と目される範囲を加え、1km四方にも及ぶ広大なものである。
 主郭を中心に、南東、南西、北西の三方の尾根上に曲輪を配置した典型的な放射状連郭プランで、「畝状竪堀」や「武者隠し」などが遺り、主郭部には書院造り風の礎石配置を持つ大型建物が確認されている。その典型的な中世山城の形態と、特徴的な曲輪群等の配置が観察できることなどから、国指定の重要史跡となっている。

清水山城を歩く


●空堀を隔てて主郭を望む ●主郭への道 ●主郭から発掘された屋形跡 ●主郭を囲む空堀


●主郭からの絶景 ●城址には曲輪跡・堀切跡があり、守りの堅固さがうかがえる ●城址の案内図


六角氏の情報


■参考略系図
・高島七頭諸氏の系譜は不明点が多い。ここに掲載したものは『尊卑分脈』の佐々木氏系図と「高島郡誌」所収系図をもとに、記録にあらわれる高島氏を併せて作成したものである。



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