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隈部氏
二本房付き檜扇/丸に梅鉢*
(清和源氏宇野氏流)
*後裔を称する家は梅鉢を用いているという。宇野氏は大和出身であり大和は菅公信仰の 盛んなところであったから隈部氏も梅鉢を用いていたのだろうか。


 隈部氏は、保元の乱で流罪となった清和源氏宇野氏の一族宇野親治が、上水野に米山城を築いて肥後国に土着したことに始まる。
 代々菊池氏に仕え、文永元年(1264)持直のとき、菊池武房から隈部姓を与えられ、以後、隈部を称した。以後、菊池氏の重臣としての地位を固めた。そして、隈部氏は城・赤星氏とともに菊池三家老といわれ、肥後の有力国人領主、土豪領主のなかで最も有力な地位を占めた。
 菊池氏嫡流が断絶し、一族から当主を迎えたが、いずれも失脚し、阿蘇氏から菊池武経(阿蘇惟長)が入ったが、武経は大友氏の干渉と菊池家臣団の下剋上傾向に不安を感じ、永正八年(1511)隈府を出て本領の矢部に戻っていった。そのあと、隈部氏は長野氏らとともに大友氏と交渉し、詫磨武包を後継者として迎えている。
 菊池氏没落のあと、隈部氏は菊池に近い山鹿郡水野に居城していたが、赤星氏は菊池氏の本城であった隈府城に入り、菊池氏のあとを継いだ形となった。永禄二年(1559)隈部親永は、領地問題から赤星親家と対立し、優勢な赤星氏が猿返城に押し寄せたところ、隈部氏は館を出て合瀬川で親家を打ち破った。親永はさらに竜造寺隆信と結び、その支援のもとで親家の子統家の隈府城を攻め、これを追放した。以後、菊池.山鹿の両郡を押さえて旧主菊池氏の本城、隈府城を本拠とした。
 また、菊池氏の重臣であった城氏が城村城から隈本城に移った後に、嫡子の親安が城村城に入った。さらに、一族は永野城に入れ、この地域を制圧した。
 天正十三年(1585)、薩摩島津氏が肥後に攻め入ったが、隈部氏の城砦群は難攻不落で、一年余の篭城の間に一城も落ちず、結局、島津氏は隈部氏と和議を結んだ。隈部氏の精強ぶりがうかがわれる。

肥後国人一揆、隈部氏の滅亡

 天正十五年、豊臣秀吉の九州征伐後、肥後国人衆は本領以外は没収となり、隈部親永は当時千九百町歩を所領としていたが、八百町歩というように、他の国衆ともども半分以下の所領となった。そして、秀吉は肥後一国を佐々成政に条件を付けて与えた。
 条件とは、
 1、国人先規の如く知行相渡すべき事
 1、三年検地有まじき事
 1、百姓等痛まざる様に肝要の事
 1、一揆をこさざるやうに遠慮あるべき事
 1、上方普請三年免許せしめ候事  ---といった五ケ条であった。
 しかし、佐々成政は、秀吉の付けた条件を無私して検地を実行したことから、親永父子はその検地実施に反対して天正十五年(1587)挙兵、さらに、隈部氏を頭として肥後の有力領主が連合して国衆一揆が肥後全域に広がった。
 成政は早速五千の兵で隈部親永の隈府城を攻め、敗れた親永は、嫡子親安の守る城村城へ逃げ込むと、堀をさらえ、柵を造って防備を固め、一万五千人で篭城した。一方、成政軍は城村城攻めを開始したが、その間に、甲斐親秀、菊池武国、赤星・城氏らが率いる三万余人の国衆は、成政の本城を隈本城を囲んだところから、成政は隈本城にとって返し、一揆軍の内応などもあって、これを撃退した。
・隈部城址
 城村城はその後も成政の猛攻撃に耐え、延々九ケ月の篭城となった。この事態をみて秀吉は成政を尼崎に呼びつけ、天正十六年五月、命令を守らず一揆を引き起こした罪をもって切腹を命じている。
 一揆軍に対しては、近隣の黒田・立花・毛利・島津氏らに攻略の動員令を出し、黒田孝高は使者をもって和議開城させ、親永は立花氏に、親安は小倉の毛利氏に預けられ、切腹を命じられて、それぞれ腹を切り隈部氏は滅亡した。一揆に加担したその他の地侍や農民は帰農が許され、肥後国衆一揆は終結した。


■参考略系図
 
  


●系図_ver.1


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