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津軽為信
●天文十九年(1550)〜慶長十二年(1607)
●出自は不明だが下久慈城主・久慈備前の子の可能性が強い。大浦城城主・大浦為則の養子となって後、南部氏の内紛につけこみ津軽地方を奪い独立、秀吉の認知を受けた。

南部信直
●天文十五年(1546)〜慶長四年(1599)
●南部藩再興の祖・南部氏二十六代。二十三代安信の弟基信の長男。二十五代晴継早世の後を継ぐ。小田原参陣により南部七郡の朱印状を受け。九戸政実の乱の後、三戸から盛岡に移った。

伊達政宗
●永禄十年(1567)〜寛永十三年(1636)
●出羽国米沢城主、のち仙台城主。伊達輝宗の長男。天正十八年、豊臣秀吉に降伏し、旧領米沢に移り、岩出山城を与えられる。関ヶ原合戦では、徳川方に荷担。戦後、岩出山から仙台に移り、城下を建設。

最上義光
●天文十五年(1546)〜慶長十九年(1614)
●出羽の戦国大名。山形城主最上義守の子。最上・村上郡を平定。小田原参陣により、豊臣秀吉から本領の安堵を受ける。関ヶ原合戦後。庄内・由利郡を加増され、五十七万石を領した。


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葦名盛氏
●大永元年(1521)〜天正八年(1580)
●陸奥の戦国大名。会津黒川城主葦名盛舜の子。会津盆地を平定し、さらに近隣の諸大名を従属させ、葦名氏の全盛期を築いた。南奥羽において、伊達氏と勢力を二分するほどの力も持った。

佐竹義宣
●元亀元年(1570)〜寛永十年(1633)
●義重の長男。越後上杉氏と結び相模北条氏と戦い、領国を守る。小田原の役で豊臣秀吉に属し、五十四万石の豊臣大名となり、常陸一国を統一。関ヶ原合戦で西軍に属し、戦後出羽秋田二十万石へ転封される。

北条早雲
●康正二年(1456)〜永正十六年(1519)
●伊豆・相模の戦国大名。備中高越山城主伊勢盛定の子というが不明。幕府の役人から今川氏親に仕え、幕府の指示で伊豆に乱入した。堀越公方を滅ぼし、相模の大森氏、ついで三浦氏を討って戦国大名に。

北条氏康
●永正十二年(1515)〜元亀二年(1571)
●小田原北条氏第三代。小田原城主氏綱の子。強敵上杉朝興を亡ぼしてのち、古河公方を配下として南関東の制服を完成する。今川義元や武田信玄と同盟し、上杉謙信と戦い抜く。

小笠原長時
●永正十一年(1514)〜天正十一年(1583)
●甲斐源氏の流れをひき、信濃の守護大名。林城主で中信濃に勢力をはった。天文十七年、武田信玄に敗れ、のち上杉謙信を頼った。謙信の死後、会津の葦名盛氏に寄食、旧領回復を夢みながら三十余年流浪した。


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村上義清
●生年不詳?〜天正元年(1573) ●越後・根知城主。建武二年信濃惣大将として入国した村上氏の子孫。根拠地は信濃国埴科郡坂木。北信濃第一の戦国大名。武田信玄に敗れ、上杉謙信を頼り、旧領回復を狙うが、のち謙信の客将となる。

真田昌幸
●天文十六年(1547)〜慶長十六年(1611)
●信濃上田城主。はじめ武藤氏を継ぎ、のち旧姓真田氏に復し、上田城主に。北条氏の上野沼田城を攻略、沼田領を支配。関ヶ原合戦では西軍に従い、敗戦後、二男幸村とともに高野山に蟄居。

武田信玄
●大永元年(1521)〜天正元年(1573)
●甲斐国守護。大膳大夫.信濃守。幼名太郎、諱は晴信。武田信虎の長男。三条公頼の女を娶る。永禄二年入道して信玄となる。元亀三年西上の途につき。翌年四月駒場にて病死。

上杉謙信
●亨禄三年(1530)〜天正六年(1578)
●越後守護代長尾為景の末子、諱は景虎。兄晴景に代わって越後の戦国大名となる。上杉憲政より関東管領職と上杉家を相続。二度上落。第四回川中島の合戦は有名。織田信長軍と手取川で戦い激破。


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明智光秀
●亨禄元年?〜天正十年(1582)
●近江・丹波で五十万石を領知。安芸守光綱の子という。織田信長に従い、足利義昭の上洛に尽力。本能寺を急襲して、信長を自殺させた。山崎合戦では羽柴秀吉に惨敗。小栗栖で刺殺された。

斎藤道三
●生年不詳〜弘治二年(1556)
●美濃の戦国大名。長井新左衛門尉の子という。土岐頼芸に仕え頭角をあらわす。後、頼芸を追放、美濃の実権を握った。晩年は嫡男・義龍と対立、長良川合戦で敗死。織田信長の正室は道三の娘。

今川義元
●永正十六年(1519)〜永禄三年(1560)
●駿河の大名。兄氏輝の没後、家督を継ぐ。甲斐の武田信玄、相模の北条氏康と同盟して、西方への勢力拡大を図ったが、織田信長との桶狭間の戦いに敗れて討ち死にする。

徳川家康
●天文十一年(1542)〜元和二年(1616)
●江戸幕府の創始者。松平広忠の長男。三河を平定し徳川氏に改姓。三・遠・駿・甲・信五ケ国を領有す。豊臣政権下で関東移封、五大老の筆頭。大坂の陣で豊臣氏を滅ぼし天下統一を完成。


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織田信長
●天文三年(1534)〜天正十年(1582)
●織田信秀の嫡男。桶狭間の戦いで今川義元を倒し、尾張・美濃の軍事力を背景に足利義昭を奉じて上洛。天下布武の理念に燃えて全国統一を目指すが、本能寺の変に遭い未完の天下となった。

豊臣秀吉
●天文六年(1537)〜慶長三年(1598)
●武家としてはじめて関白に任官した。本能寺の変後に対立武将や戦国大名を屈服させて天下統一した。六歳の秀頼を遺して他界したため、豊臣家は衰亡の一途を辿り、大坂夏の陣で滅亡した。

前田利家
●天文七年(1538)〜慶長四年(1599)
●加賀藩主前田家の祖。尾張荒子出生。織田信長に仕え、各地を転戦。功により越前府中、さらに能登一国、後に河北・石川二郡を加え、金沢に移る。五大老の一人。豊臣政権下で家康に次ぐ実力をもっった。

佐々成政
●永正十三年(1516)〜天正十六年(1588)
●織田信長の部将。尾張比良城主佐々盛政の子。天正三年越前府中を与えられ、前田利家らと柴田勝家の与力。同九年越中一国を得て富山城に拠る。のち豊臣秀吉に属し、肥後城主となる。