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白石氏
九曜/引両*
(藤原氏族刈田氏後裔)
*拝領した家紋と伝わる。


 白石氏は藤原姓で、藤原鎌足の十四世の後裔と伝えられる刈田左衛門尉経元を祖とする。寛治年間(1087〜93)、源義家に従い白石城に住み刈田・伊具の両郡を領したのだという。他方、刈田氏は白石の豪族で、平安時代末期以来白石を領していたとも伝えられる。
 通説によれば、刈田経元は源義家に従い「後三年の役」に出陣して清原武衡兄弟を討ち、刈田郡・伊具郡を与えられ刈田郡白石に住して白石を称したとことになっている。文治元年(1188)、源頼朝の奥州合戦に際して秀信は、伊達家初代にあたる朝宗に従って参陣し藤原泰衡討伐に功があった。秀信の孫長俊には子が無かったため、伊達政依の子宗弘を養子に迎えている。

戦国争乱と白石氏

 戦国時代の白石宗綱の代に伊達稙宗の麾下となり、伊達家の重臣となった。天文十年(1541)、伊達稙宗・晴宗父子が争った「天文の乱」に際して宗綱は晴宗に加担して戦功を挙げた。宗綱は乱において、宮城郡の高森氏に書を呈し、乱の起こりは懸田氏の逆心による旨を伝え、晴宗党が方々において優勢に戦いをすすめている状況を報じ、天文十五年には稙宗党の逆襲を受けて桑折西山城を放棄せざるを得なくなった晴宗を白石城に迎えている。乱後、数々の功によって宗綱は一族から一家の班に昇進させられた。宗綱の子大和守宗利も天文の乱には伊達晴宗に属して、刈田郡落合・米倉の知行地を給されている。
 元亀元年(1570)、中野一党の謀叛が露見し、輝宗の追討を受けた中野宗時らは屋代高畠・下関・白石・宮を経て角田を通り相馬に逃亡した。このとき、宗利は中野一党をとどめることなく、逃走を助けたため輝宗の怒りにふれたが、晴宗の婿である高畠城主小梁川盛宗とともに輝宗から赦された。
 宗利の子が宗実で、宗実は伊達政宗に属して、諸方を転戦して功を重ねた。天正十二年(1584)、伊達輝宗・政宗父子に従って相馬氏との戦いに出陣、宇多郡新地、駒ヶ峯城攻めで殿軍を勤め、相馬軍の執拗な追撃を斥けている。翌十三年には、政宗に謀叛を起こした大内定綱を小手森城に攻め、小瀬川を挟んで大内軍と戦いそれを打ち破る抜群の軍功を立てた。
 天正14年、二本松城の畠山氏と激しい抗争を繰り広げていた伊達氏に対し、相馬義胤から和睦勧告の提示があり、宗実はこれを政宗に取り次ぎ和睦成立に貢献した。これら、連年にわたる宗実と白石一族の活躍に対して、政宗は大内定綱の旧領・安達郡塩松三十三郷を与えた。そして、宗実は父祖代々の居城であった白石から宮森城に居城を移し、寺坂山城、大内能登らの諸豪族を配下に編入し白石精鋭部隊を組織したのである。
 天正十七年、伊達政宗は南奥の雄である葦名氏と雌雄を決するため、軍を進め、猪苗代湖北岸の摺上ケ原において一大会戦を行った。この合戦において宗実は白石精鋭部隊を率い、伊達成実とともに軍団の主戦力となって第四陣を勤め大功をあげた。かくして、政宗は奥州の覇者となったが、翌年、豊臣秀吉の奥州仕置によって会津を収公され、岩出山に移封処分となった。その結果、宗実は胆沢郡水沢に一万五千石の地を与えられ、同地に移住し水沢城主となった。文禄の役(1593)にも朝鮮半島へ渡海し、軍功を立てた。それから間もなく、慶長四年(1599)、伏見において没した。享年四十七歳(一説に五十五歳)。

伊達一族として近世へ

 宗実には男子がなかったためそのあとは、伊達稙宗の八男梁川宗清入道鉄斎の子宗直が、宗実の女に配されて家督を継いだ。宗直も養父に劣らず武勇にして才略があった。慶長五年(1600)、白石城攻防戦で功があり、その後の関ヶ原の合戦における上杉軍の最上侵攻に対しては最上義光の援軍として活躍した。
 ところが同年、和賀郡の旧領主であった和賀忠親が南部利直に対して反乱を起こした時、宗直は伊達政宗の命を受け忠親を助けた。その後、この反乱には伊達政宗の援助があったとして徳川家康の譴責を受け、責任者である宗直は罪を得て慶長九年登米寺池域に移された。
 登米は名目上1万5千石になっていたが、葛西一揆などによって住民の流出と田畑の荒廃が相次ぎ米がほとんど収穫できない状況にあった。宗直は北上川の改修や新田開発に力を注ぎ、登米寺池を二万石余の所領に育て上げた。大坂冬・夏の陣にも出陣して功があり、元和二年(1616)七月、伊達の称号を許され、寛永六年(1629)七月に五十三歳を一期として没した。子孫は、伊達家一門に列し登米伊達家として続いた。  



■参考略系図
 
  


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